菅首相の対中国政策が見えない 内閣10カ月、習主席の国賓来日棚上げ

 菅義偉首相は大国化する中国と、どう向き合うのか。沖縄県の尖閣諸島を巡るせめぎ合いは日常化し、既に約束している習近平国家主席の国賓としての来日は事実上、棚上げとなっている。バイデン米大統領との「同盟深化」を明言する首相だが、最大の貿易相手国である中国との関係構築も、重要な外交課題であるのは間違いない。内閣発足から間もなく10カ月。「新時代の日中関係」はなお視界不良だ。(共同通信日中問題取材班)

菅義偉首相と中国の習近平国家主席

 ▽「不都合な真実」

 「中国の領海から出て行きなさい」。日本漁船を追う中国海警局の船舶の電光掲示板に、赤い文字の中国語が浮かび上がる。5月、沖縄県・尖閣諸島周辺の日本の領海。漁船の周囲を警護する海上保安庁の巡視船が割って入るが、中国船は悠然と領海に居座る。「日本の海」で大国の実力を誇示する中国。漁師で沖縄県石垣市議の仲間均さんは「攻撃されて犠牲者が出てもおかしくない」と振り返る。

電光掲示板に「中国固有の領土」と表示された中国海警局の船=沖縄県・尖閣諸島周辺(仲間均さん撮影) 

 尖閣を守る運動を1995年から続ける仲間さんによると、活動を始めた当初、中国側の船は領海外側の接続水域から日本漁船を遠巻きに見守るだけだった。2012年9月の尖閣国有化を受けて中国公船の領海侵入が繰り返されるようになったころも、しばらくすると出て行った。だが近年は必ず侵入し、漁船が離れるまで領海にとどまるようになった。

 

外務省の船越健裕アジア大洋州局長

 日本政府は中国公船の動きに表向き厳しい姿勢を示す。外務省の船越健裕アジア大洋州局長は6月3日、日中テレビ会議の席で、中国外務省の洪亮・国境海洋事務局長に抗議した。

 だが実際は日本漁船の動向に、より神経をとがらせる。仲間さんたちが現場で撮影した動画を通じ、尖閣の実効支配を中国に切り崩されている「不都合な真実」(自民党筋)が表沙汰になり始めたからだ。7月に入り、接続水域を含む尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは連続140日を超えた。

仲間均さんが乗る漁船を警護する海上保安庁の巡視船(手前)と中国海警局の船舶=21年5月、沖縄県・尖閣諸島周辺(本人提供)

 ▽譲歩迫る中国

 仮に「日本は尖閣を支配できていない」との認識が広がれば、米国の尖閣防衛義務に影響しかねないとの見方もある。日米安全保障条約第5条によると、米国の対日防衛義務が適用されるのは「日本国の施政の下にある領域」。中国が日本の支配を崩せば理屈上、尖閣は米国の防衛対象から外れるというわけだ。

 足元を見るように中国は日本に譲歩を迫る。昨年11月下旬に来日した王毅国務委員兼外相は、両国の公船以外の船舶による尖閣接近を禁じる共同管理案を提唱。菅首相と会談した後、仲間さんたちの漁船に触れ「あのような船舶を敏感な水域に入れないことが大事だ」と記者団に訴えた。加藤勝信官房長官は「全く受け入れられない」と一蹴したが、「そもそも領土問題は存在しない」の政府の基本的立場は有名無実化が進む。

 ▽台湾派の修文

 「ここは『地域』と一言入れます」。今年5月28日、自民党本部。甘利明税制調査会長は自身が立ち上げた議員連盟の会合で宣言した。「半導体の国内製造基盤強化を求める決議」の中の一文を「同盟国・友好国・地域との連携による信頼ある強靱なサプライチェーン」と修文する内容だ。「地域」は台湾を意味する。米国を中心とする半導体の供給網を台湾と共につくり、中国との先端技術争いに競り勝とうとする狙いがある。

 半導体戦略推進議連の初会合で、あいさつする安倍前首相。右は麻生財務相、左は甘利会長=21年5月、東京・永田町の自民党本部

 事前に「地域」の挿入を甘利氏に求めたのは、安倍晋三前首相だった。安倍、甘利両氏に麻生太郎副総理は3人の頭文字から「3A」と称され「親米、親台湾」で歩調を合わせる。念頭にあるのは、中国けん制だけでない。親中派の二階俊博幹事長への対抗心だ。

 「中国への強い外交姿勢を次の衆院選公約の柱とするべきだ」。安倍氏の出身派閥、自民党細田派の幹部から声が上がる。菅外交の路線争いと次期幹事長人事を意識する3Aが主導する形で、党内の対中強硬派が頭をもたげている。

  ▽首相公邸の緊張

 肝心の菅首相の中国観はどうか。

 時計の針を首相就任直後の20年9月25日に戻そう。首相公邸で政府高官や外務省幹部が首相を囲んだ。

首相公邸、2019年撮影

直後に控える初めての日中トップの電話会談で、習主席が国賓来日を切り出したらどう答えるか―。主要議題はこの一点に絞られていた。

 緊張した空気が漂う中、菅首相が言葉を発した。「習さんに(訪日していいかと)聞かれたら『新型コロナウイルスの感染収束が最優先だ』と答えよう」。国賓来日を拒む決意を示した瞬間だった。

 結局、会談で習主席は国賓来日を取り上げず、首相としては「日中亀裂」を露呈せずに済んだ。電話会談後、聞かれていないにもかかわらず「習主席訪日について特にやりとりはありませんでした」と記者団に述べ、安堵の表情を浮かべた。

 習主席に訪日は受け入れられないと伝えていれば、中国最高指導者のメンツを、招待した側の日本が傷つける展開になっていたのは明白だ。日中関係悪化は避けられなかった公算が大きい。

 ▽伏せられた応酬

 その2カ月後の昨年11月、来日した王毅氏は茂木敏充外相にまくし立てた。

首相官邸で記者団の取材に応じる中国の王毅国務委員兼外相=20年11月

「米国が日本にミサイルを配備するという話があるようだが、中国は受け入れない」。米軍は沖縄からフィリピンを結ぶ「第1列島線」に中距離ミサイル網構築を目指し、日本の南西諸島も配備候補地だ。

 茂木外相は「米国から打診はない。日本を射程に収めるミサイルを多数配備しているのは中国の方だ」と反論した。通訳のみを同席させた応酬について、両政府は一切のやりとりを伏せた。代わりに日中間のビジネス往来再開を発表した。

 「自由とか人権とか法の支配を中国も保障するべきだ。ある意味で当然のことを、しっかりと主張しながら中国と付き合っていきたい」。今年6月13日、先進7カ国首脳会議(G7サミット)開催地、英コーンウォールのホテル。菅首相は珍しく中国けん制の言葉を記者団に発した。G7首脳声明に「台湾海峡の平和と安定」を盛り込むことができた高揚感がにじんだ。

G7サミットで記念写真に納まる菅首相(中央)ら。前列左はバイデン米大統領=21年6月、英コーンウォール(AP=共同)

 米国と組んで中国に対抗する姿勢を鮮明にする菅首相。だが、最大の貿易相手との関係が冷え込めば日本経済は失速を余儀なくされる。米政府は「言葉の次は行動を」と人権侵害に関与した外国の当局者らに制裁を科す法制度の制定を求めるが、中国を意識する日本政府は及び腰だ。首相の強気な発言とは裏腹に、米中がそれぞれに踏み絵を迫る「新冷戦時代」のかじ取りは難しい。そんな国際環境の中、日本がしたたかに生き抜くための基本戦略を菅首相はまだ国民に示していない。

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