92歳、同性愛の男性が告白

「ずっと独りで生きてきた」

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長谷忠さん=6月3日、大阪市西成区(撮影・共同通信=武隈周防)

 「差別が怖くて周囲に言えず、人と関わらずに独りで生きてきた。ずっとずっと孤独だった」。大阪市西成区に住む詩人の長谷忠さん(92)は90歳になる直前の2018年8月、初めて周囲に自分が同性愛者だと打ち明けた。LGBTなど性的少数者への理解増進を図る法案は6月、東京五輪前の通常国会での審議に期待がかかっていたが、提出見送りになった。だが長谷さんは「誰もが生きやすい差別のない世界に一歩でも進んでほしい」と今後の展開に期待を寄せる。(共同通信=江浜丈裕)

LGBTのイベントに参加した長谷忠さん=2020年7月23日(大阪市西成区の「ココルーム」提供)

 ▽同性愛は「病気」

 1929年、香川県高松市で、医師の父と看護師見習いだった母の間に生まれた。父には正式な妻がおり、いわゆる非嫡出子だった。父と会ったのは記憶にある限り、数回程度しかない。

 小学校低学年の時、男性の先生を好きになった。この頃には「ほかの男の子たちとは違い、自分は男性が好きなのかもしれない」と自分が同性愛者だと感じ始めていたが、当時は「同性愛は病気」として扱われていた時代。しばらくして確信に変わった後も、家族には悩みを打ち明けることができず、ずっと心に秘めて生きてきた。

 高等小学校を経た後は、モールス信号で電報を打つ訓練のための学校に通い、独り満州に渡って通信士や少年軍属として働き、そこで敗戦を迎えた。

 玉音放送を聞いてうなだれたり、泣きだしたりする人がいる中、長谷さんは湧き上がる喜びで打ち震えていた。自身の性格からして、軍隊のように規則でがんじがらめに縛られ、自分で何も決められない生活が大嫌いだった。「やっと自由になれる!これで日本に帰れる!」と思った。

1945年、国共内戦の和平を探るため、重慶で行われた会談で、毛沢東・中国共産党主席(左)と乾杯する蒋介石・中国国民党主席=1975年4月5日配信(UPI=共同)

 しかし、日本に戻るまでは苦難の連続だった。満州では中国国民党と共産党による内戦が始まっており、激しい市街戦に遭遇することも。近くで銃声がしたかと思うと、目の前で男性が倒れていたこともあった。「自分も撃たれるのでは」と怖くて、とっさに身を隠し、何時間も身動きすらしなかった記憶。満州にはロシア兵もいて、モールス信号の道具など全てを略奪された。職を失い、食べ物もままならない生活が続き、がりがりに痩せ、いつも下痢ばかりしていた。

 ようやく引き揚げ船に乗ることができ、1946年9月、香川県に戻った。その後は倉庫作業や工場内で氷を運ぶなどのさまざまな肉体労働に従事してきた。同性愛者である自分に自信がなく、周囲に知られるのを恐れていた。仕事仲間との込み入った会話はなるべく避け、恋人はおろか、気を許せる友人もいなかった。

 ▽孤独を癒やした詩や小説

 「自分は同性愛者だ」と堂々と宣言できたのは文学の中だけだった。職場でも、独り暮らしの狭い部屋でも、小学校時代からずっと好きだった詩を、頭の中でぐるぐると考え続けていた。

長谷さんの小説「私生子」の一部

 投稿がきっかけで詩人としての活動を始め、64年に詩集「母系家族」を出版。2000年には自身の半生を赤裸々に描いた小説「私生子」などこれまで数冊の本も出してきた。詩や小説を考えている間だけは、目の前のつらい現実を忘れることができた。

 だが、それらの活動や告白はペンネームだったからできたこと。現実の世界では、何をするにも殻に閉じこもって生きてきた感覚だ。「自分がいると、普通に暮らしている兄弟姉妹に迷惑がかかる」。いつしか家族とも疎遠になっていた。

 ▽自然にカミングアウトしていた

 89歳になって人生の転機が訪れた。18年8月の暑い夏の日だった。当時住んでいた大阪府東大阪市で、大阪市西成区のボランティア団体「紙芝居劇むすび」の公演を目にした。

 むすびは「人と人とを結ぶこと」を目的に設立され、さまざま事情で孤独に暮らす高齢者同士が助け合いながら活動している。見る者を楽しませるだけでなく、演じる者も、活動を通して生きがいを見いだしていく。

 長谷さんの目には、80歳近い老人たちが試行錯誤しながら役になりきり、物語を進める様子が本当に楽しそうに映り、「自分も参加してみたい」と思い立った。素のままの自分が受け入れられる気がした。

 「私はゲイですが、参加できますか」。紙芝居が終わった後、その場で参加を申し込んだ。これがカミングアウトだということは、後になって会のメンバーに指摘されるまで気付かなかった。

「むすび」の事務所で仲間と話す長谷忠さん(右端)=6月3日、大阪市

 むすびの演目は、桃太郎などよく知られた昔話のほか、オリジナル作品もある。特にお姫さま役などを演じている時、「自分は男ではなく、女なんだな」と実感する。やはりこういう役が好きで、得意なのだ。

 劇団の活動は、週に1度の集まりで物語を考えたり、紙芝居の絵を描いたり、小道具を作ったりすることだ。生活の中で活動の占めるウエートが大きくなり、西成区に引っ越しもした。人生で最後の引っ越しだと思う。

 ▽初めての友人

 活動を通じ、生まれて初めてできた仲間や友人。90歳にして本当の自分を隠さずに生きることで、人生が楽しいと思えるようになった。若者に勧められて、念願だった女装にもトライしてみた。「化粧って案外めんどくさいな。毎日はいいや」と思ったが、素晴らしい体験だった。好きな人もできた。その人のことを思うといつも心が弾む。

LGBTのイベントに参加した長谷忠さん(中央)=2020年7月23日(大阪市西成区の「ココルーム」提供)

 長谷さんには、これまでの人生で何度となく言われ続け、そのたびになんとも言えない嫌な気持ちをため込んできた言葉がある。それは「結婚しないんですか」だ。

 社会がLGBTの人たちに寛容となり、昔に比べて住みやすい環境づくりが進んでいることは実感する。だが「同性同士だと子どもができない」といった批判も耳にする。差別や偏見は今も根強くあると感じる。そんな時、「自分で選ぶことができない性を、自ら否定したくないし、誰からも『おまえは駄目だ』なんて言われたくない」と怒りを覚えるという。

 今も毎日、日記を書き続けている長谷さん。この先の目標は、同性愛者の老人の性をテーマにした作品を執筆することだ。少しでもLGBTの人々が理解され、暮らしやすい世界になるよう、世論を後押しするような作品を書きたいと願う。

大阪市内で取材に応じる長谷忠さん=6月3日