走って迫っていくだけで武器になる

相手に恐怖与える前田大然のスピード

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J1 柏―横浜M 後半、チーム2点目のゴールを決め、喜ぶ横浜M・前田=三協F柏

 守る側が感じていたのは、例えるならホラー映画の恐怖だろう。危険を感じて逃げようとするものの、ひたひたと足音を響かせながら迫ってくる。しかも、追っ手のスピードが尋常ではなく速い。感じるのは恐怖しかない。

 7月3日に行われたJ1第21節の柏レイソル対横浜F・マリノス。柏にとっての恐るべき存在となったのは、東京五輪代表、マリノスのFW前田大然だった。

 走る。サッカーでは当たり前の行為を、これほど武器として生かせる選手はそうはいないだろう。50メートルを5秒台で走るスプリント力は、ただ直線的に速いだけではない。強力な制動力を備えたブレーキで急に止まり、方向を変え、静止状態からまた爆発的な加速をみせる。普通の選手ならすぐにスタミナ切れを起こしそうだ。ところが、前田の「エンジン」のパワーは無尽蔵だ。

 柏戦で見せたスプリント回数は両チーム通じて断然トップの46回。2位は同僚の小池龍太の25回だ。柏の最多は大南拓磨らの19回なのだが、大南は対面で前田とマッチアップしたことで、走ったというより走らされたという局面が多いのかもしれない。

 試合自体は簡単なものではなかった。前半35分に攻撃の中心となるマルコスジュニオールが一発退場。マリノスは相手より1人少ない10人で残り時間を戦わなければならなかった。それでも、数的不利をまったく感じさせない戦いをみせた。普通ならば守備的になりがちな条件に追い込まれたというのに、トリコロールは攻撃的な姿勢を崩さなかった。前田とオナイウ阿道の2トップが前線から激しい追い込みをみせる。それに連動し、最終ラインも高い位置を取り「攻め勝つ」というチーム内の意思統一が見る側にも伝わってきた。

 6月10日、マリノスはアンジェ・ポステコグルー監督がスコットランドのセルティックへ移ると正式発表した。発表前からうわさがあり、当然、チーム内には動揺があった。6月9日の天皇杯2回戦ではホンダFCに敗れている。ただ、伝統的に守備重視だったクラブに3年半かけて指揮官が植え付けた攻撃のメンタリティーは、財産として残った。

 アグレッシブに前からボールを奪い、常にゴールを追い求める。そのためには走らなければならない。チームの全員に徹底された約束だ。確かにチーム全体の総走行距離では、柏の112.471キロには劣った。しかし、その差は約900メートル少ないだけの111.586キロ。GKも含めて11人で割れば、1試合で1人が10キロほど走る計算になるのだが、マリノスはマルコスジュニオールの穴をほぼ埋めたといえるだろう。

 柏の守備陣を恐怖に陥れた前田のスピードあふれた逆襲。後半31分、マリノスの見事なカウンターが決まった。自陣中央からティーラトンが右サイドのオープンスペースにロングパスを送る。トラップで前方に持ち出した前田は、マークする柏DF古賀太陽をスピードで置き去りにすると、ゴール前にクロス。GKキム・スンギュがクリアできなかったボールを、オナイウが落ち着いて右足でゴールへ。

 さらにその4分後の後半35分、GKに対する前田の猛烈チェイスが実を結ぶ。それには事前のスカウティングがあった。「(キム・スンギュは)結構、ボールをさらしてコントロールできないという印象があったので、いつかボールを取れるかなと狙っていた」。柏はGKに古賀がバックパスを戻す。同時にスピードを上げた前田がプレッシャーをかけたことで、キム・スンギュは慌ててキック。そのボールが前田に当たり、前方へ。前田は難なくシーズン10得点目を無人のゴールに押し込んだ。

 確かに2点とも韓国代表の名手キム・スンギュらしくないミスだった。この日に限っては判断が悪かった。1点目は確実にはじけないクロスに対してセーブにいく必要があったのか。2点目も前田がプレッシャーをかけてくる方向にキックを戻す必要があったのか。セーフティーファーストの原則を優先していれば、失点は防げた可能性はある。ただ、その判断ミスを誘ったのは、ホラー映画のような恐怖を持って迫る前田のスピードであることは間違いない。

 自らの1得点1アシストで2―1の勝利を収め、チームは5連勝。前田は気持ちよく五輪代表に合流できるだろう。そして、ここからは世界が相手となる。

 2012年ロンドン五輪。スピードは何物にも代えがたい武器だと証明したのが永井謙佑だった。1次リーグ初戦で優勝候補のスペインと対戦した日本は永井が前線からのすさまじいプレスを見せた。迫ってくるスピードに恐れをなしたスペインはリズムを崩し、日本は大津祐樹が決勝点を決め勝利を収めた。

 同じ役割を前田はいとも簡単にこなすだろう。マリノスでやっていることを同じ日本でやればいいだけだ。さらに4位となったロンドン五輪より、今回は攻守においてタレントがそろっているのだから大きな期待が持てる。そのチームの最前線で、静けさの中から突然にして襲い掛かる相手にとっての恐怖の存在。前田の走る姿が、すでに目に浮かぶ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材は2018年ロシア大会で7大会目。