河野談話を今すぐ破棄せよ!|山岡鉄秀 軍や官憲による強制連行を裏付ける資料は一切見つかっていない。にもかかわらず、なぜ日本政府は河野談話を「継承」し続けるのか。「慰安婦=性奴隷」という歴史の捏造を放置すれば、日本は歴史問題で惨めな敗北を続けるだろう。オーストラリアで慰安婦像設置を阻止した山岡鉄秀氏が加藤勝信官房長官に物申す!

亡霊から逃れられない政府

河野談話が最大の元凶だ! (写真提供/時事)

河野談話という政治的妥協の産物と河野洋平氏の不用意な発言が、日本の国益をどれだけ損ねたか計り知れない。慰安婦の強制連行や性奴隷化について、民間の研究者がどれだけ反論しても、常に河野談話が根拠にされてきた。

吉田清治関連の記事を誤報と認めて撤回したあとも、朝日新聞は英語で強制連行を想起させる表現を使い続けた。私の使用中止の申し入れに対する朝日新聞の反論は、やはり河野談話に依拠していた。昨年になってベルリン市に突然設置された慰安婦像を巡る議論でも、議会で根拠として検証されたのは河野談話だった。

問題は河野談話だけではないが、河野談話が最大の元凶であることに疑いの余地はない。その河野談話が発表されてから28年の歳月が経った。実に4半世紀以上の年月を経ながら、日本政府はこの亡霊を振り払うことができない。これを外交的敗北主義と言わずしてなんと言うのだろうか。

その河野談話に果敢に挑んだのが、自民党参議院の有村治子議員だ。実は、有村議員はもともと慰安婦問題に熱心というわけではなかった。ベルリン市ミッテ区に突然慰安婦像が建った時、私はドイツ語での抗議文を作成して複数の国会議員に賛同を依頼した。その際、有村議員は慰安婦問題について十分な知見を持たないことを理由に辞退された。

大変慎重な方だと思ったが、有村議員はそれで終わらず、猛勉強を始めてあらゆる文献と資料を読み込んだ。そして今回、国会で堂々と河野談話について切り込んだ。その質問内容は包括的で精緻であり、歴史的なものだったと言っても過言ではないだろう。

28年間も河野談話の亡霊から逃れられない政府に対し、有村議員が脱出する機会を与えたのだ。しかし、それに対する加藤官房長官の回答はあまりにも官僚的でちぐはぐなもので、せっかくの機会を台無しにするものだった。その理由は後述する。

嘘を拡散させた朝日新聞の罪

有村議員は今回の質問を通じて以下の点を明確にし、公式に議事録に残した。国会での正式な発言は海外でも報道される。その点は最大限の称賛に値するだろう。

■河野談話を作成した頃と現在とでは、歴史の真実をめぐってとても大きな環境変化がある。
■吉田清治は完全な詐欺師で、朝日新聞もそれを認めて記事を取り消して謝罪した。
■宮澤内閣で出した河野談話は、軍による何らかの強制性を認めることを日韓両国であらかじめ合意し、その内容も韓国政府と詳細なすり合わせを重ねた政治的決着の産物だった。
■韓国において元慰安婦を支援してきたとされる正義記憶連帯(旧挺対協)の尹美香(ユンミヒャン)前代表は、元慰安婦がアジア女性基金の償い金を受けて和解することを邪魔したり、慰安婦を食い物にして自らの私腹を肥やす言動を重ねてきた。
■尹美香前代表は韓国の国会議員となった現在も、業務上横領罪、詐欺罪、業務上背任罪、補助金管理法違反など8つの容疑により在宅起訴されている。
■この正義連が喧伝してきた旧日本軍による強制連行についても、強制連行を示す証拠は日本からも韓国からも、現在に至るまで1点たりとも示されていない。

これらを明らかにしたうえで、有村議員は「国際世論において日本が歴史を修正し、女性の人権を軽視しているといういわれなきレッテルを貼られて孤立することを避けるために、日本政府は河野談話を全体として継承するという苦渋の選択をしてきた」と政府の立場に一定の理解を示した。

そのうえで、「菅内閣においても談話を継承するのであれば、その意図をしっかりと整理し、日本の尊厳と信用に懸けてわが国の立ち位置を的確に発信することこそが、いまを生きる私たちの責任ではないか」と述べ、官房長官に次のように質問する。

「河野談話を継承することによって、国民を代表する日本政府は一体何にお詫びと反省の気持ちを表明しているのか、また、何に対して事実に反すると毅然として反論しておられるのか、それぞれ明確にお答えください」

お詫びと反省への違和感

実は、先だって有村議員と松田学元衆議院議員と鼎談した際、私はこの点の不明瞭さに強い懸念を示した。

2021年3月、教科書に従軍慰安婦という記述が復活したと騒ぎになった際、やはり有村議員が質問に立ち、それをフォローするように日本維新の会の馬場幹事長が4月に質問主意書を提出。政府に、従軍慰安婦という記述の妥当性についての判断を迫った。

政府の閣議決定を経た回答は、従軍慰安婦という表記は不正確で不適切というものであった。それを保守派は「お手柄」と持ち上げた。

その功績を否定するものでは全くないが、私は馬場幹事長の質問主意書に次の記述があることに大きな懸念を抱いていた。

「また『いわゆる従軍慰安婦』の用語も、平成5年8月4日の河野官房長官談話をはじめ広く使われている。菅内閣が同談話を継承して、そこで表現されているお詫びと反省の気持ちを引き継ぐことは十分理解するので、同談話そのものを見直すことは求めない」

河野談話が、日本政府が強制性を認めている根拠にされていることが問題なのに、河野談話の趣旨を全体として認めるというのであれば、問題の解決にはならない。

私が国会で質問する立場ならば、そのお詫びと反省の気持ちは具体的に何に向けられたものなのか明確にすることを政府に求める、と有村議員にお伝えした。

その意味で、有村議員の官房長官への質問は、まさに私がぶつけたい質問そのものであった。

それに対して、加藤官房長官は次のように回答した。

まず、1993年8月4日の内閣官房長官談話、いわゆる河野談話において、慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理および慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した、慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、弾圧によるなど、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになったと記述されているところであります。

このように、官房長官談話は、慰安婦問題について、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、政府としてその出身地のいかんを問わず、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒し難い傷を負われた全ての方々に対して心からお詫びと反省の気持ちを申し上げたものであり、その点については、私どもも引き続き継承させていただいております。

このままでは日本は永遠に負け続ける!

私は耳を疑った。

河野談話をそのまま読み上げ、そのまま継承するというのであれば、慰安婦の募集にあたっては甘言や弾圧が用いられ、さらに官憲等が直接加担したことを認めることになる。それではやはり、慰安婦が強制連行され、性奴隷とされたのは事実と解釈されてしまうのであって、だから河野談話が延々と強制連行性奴隷説の根拠にされているのだ。

加藤官房長官は官僚が用意したものを読み上げているだけで、自分が何を言っているのか理解していないのではないか。

ちなみに、「官憲等が直接加担した」という記述は日本軍が直接強制連行したと読み取れるが、西岡力麗澤大学客員教授が当時、これが具体的に何を指すか日本政府に確認したところ、インドネシアで発生したスマラン事件のことを指す、との回答があったそうである。

スマラン事件とは、現地の日本軍兵士の一部が軍規に違反してオランダ人女性に強制売春をさせた事件で、これは当時においても犯罪であり、主犯者は処刑されている。それをこのように談話に記述してしまうと、あたかもそのような犯罪行為が普遍的に行われていたと解釈されてしまう。

加藤官房長官は次のように続ける。

なお、官房長官談話のなかにいわゆる強制連行という言葉は用いられておりませんが、当時の会見において、強制連行についても議論がなされたところであります。これまで日本政府が発見した資料のなかに、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見つかっておらず、これらの点については、これまでも国会の場や質問主意書に対する答弁書においても明らかにしております。

加藤官房長官は、ご自身の回答の前半と後半に甚だしい矛盾があることに気付かないのだろうか。

強制連行はなかったというのなら、強制性を明示する河野談話は破棄しなければならないのは自明の理だ。発表から28年も経っているのだから、わざわざ議論せずとも、賞味期限切れでアーカイブに移せばいいだけのことだ。

有村議員の質問にあるように、河野談話はもともと当時の政治状況における両国政府による妥協の産物であって、現在の日本政府の見解とは異なる、と堂々と述べればよいのだ。

加藤官房長官は東大卒の元大蔵官僚であり、日本ではエリート中のエリートだ。それが、国際的に全く通用しない矛盾した答弁を平気でしてしまう。だから日本は歴史問題で惨めな敗北を続けるのだ。日本国の宿痾がここにある。

山岡鉄秀(Tetsuhide Yamaoka)

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