大坂選手の「メンタルヘルス問題」が投げ掛けたもの 米国の「啓蒙月間」に衝撃の訴え

 パラリンピックや障害者スポーツが普及していく中で、最近は目にすることがなくなったが「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉があった。ただ、健常者のスポーツ選手は今でも、そういうイメージで見られることが多いだろう。その意味で、女子テニスの大坂なおみ選手が「うつ」と闘ってきたことを明らかにして、全仏オープンを棄権したことは衝撃を持って受け止められた。(共同通信=山崎恵司)

テニスの全仏オープン女子シングルス1回戦の大坂なおみ選手=5月30日、パリ(AP=共同)

 ▽ツイッターで「うつ」公表

 大坂選手は2度、ツイッターで自身の考えを発信した。5月27日のツイートでは「アスリートのメンタルヘルス」という表現を2度使い、記者会見に応じない姿勢を表明した。このため、全仏オープンの主催者などから反発を買い、会見拒否の罰金1万5千ドルを科された。注目のトップ選手が会見拒否を公言する異例の事態。テニス界を超えて、波紋を広げたが、メンタルヘルスに焦点が当たることはなかった。

 1回戦を突破した大坂選手は5月31日、ツイッターで「うつ(Depression)」に苦しんできたことを明らかにし、2回戦の棄権とともにしばらくコートから離れることを表明した。このツイートで、大坂選手に対する批判は一気に沈静化。トップ選手のメンタルヘルスに関心が向けられた。

 アメリカでは1949年から、5月をメンタルヘルス啓蒙(けいもう)月間(Mental Health Awareness Month)としてきた。その中でも、5月20日はメンタルヘルス行動デー(Mental Health Action Day)と定められている。大坂選手が5月末にメンタルヘルスについて問題提起したのはこういう背景があったのかもしれない。

大坂なおみ選手が全仏オープンを棄権すると表明したツイッターの一部

 ▽メンタルヘルス啓蒙の機会

 「精神疾患は社会の認識が不十分なところがある。大坂さんのケースは、トップアスリートにもあるんだ、ということで啓蒙の機会になった」。こう切り出したのは、日本スポーツ精神医学会理事長の内田直医師だ。大坂選手の問題が明らかになった直後、取材が殺到したこともあり、内田医師は意見をまとめて文書を作成した。

 うつ状態になるメカニズムは十分に解明されていないそうだが、内田医師はこの文書の中で「ストレスにより血中のストレスホルモン(コルチゾール)が上昇し、これが脳の神経システムを攻撃して不調をつくるという説は有力」と説明する。

 大坂選手は、テニスのトレーニング→強くなる→人前への露出が増えストレスを感じる、という図式の中でトレーニングを行い、試合に出る生活を続けてきたと、内田医師は見る。そして「長く続くストレス状況からうつ状態に陥ったことはおそらく間違いないと思います」。そして「プロ選手のおかれる状況への適応がうまくいかなかったという意味で『適応障害(抑うつ)』という診断も可能かもしれません」と指摘した。

日本スポーツ精神医学会理事長の内田直医師(本人提供)

 大坂選手は5月31日のツイートでしばらくコートから離れることを表明したが、内田医師は「適応障害では、その状況をいったん回避する、多くの患者さんは『休職して自宅療養が必要である』ということになるわけです。そういう意味では、今回の選択は賢明であり、治療的な意味があると思います」としている。

 ▽罰金の前にヒアリングを

 大坂選手がツイートの中で使った「Depression」という単語について触れておきたい。精神科の診断名、診断分類はアメリカ精神医学会が作成した「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」に基づくことが多い。DSMは随時、改訂されてきたが、最新のものは2013年のDSM―5。内田医師は2011年に「スポーツカウンセリング入門」を著しているが、その中でうつ病について説明している。この本が出版された時点ではDSM―Ⅳ―TRが最新で、それに従い、「大うつ病性障害」と表記されている。「Major Depressive Disorder」を訳したものだ。DSM―5でも、この診断名は踏襲されている。大坂選手が使った「Depression」は医学的な診断名ではない、一般的な用語だと言える。「Depression」は意気消沈、気分の落ち込み、憂鬱(ゆううつ)といった気分を表現するほか、不況、不景気などを意味する経済用語としても使われる。昭和初期に、アメリカで起きた大恐慌は「Great Depression」という。

 記者会見を拒否したとして、大坂選手は全仏オープンの主催者から罰金1万5千ドルを科された。内田医師はこの手続きに首をかしげる。「規則にのっとって罰金を科すというときに、どうしてインタビューに答えられないのか、十分時間をかけてヒアリングをすべきだった。事情聴取の結果、選手によってはわが道を行くという姿勢で仕事の一部を放棄しているような人もいるかもしれない。そういう場合に罰金は科されてもおかしくはないが、そういう手続きを経ずに(大坂さんに)罰金を科す見解を出したことは精神疾患の観点からの理解がなかったのでは」と指摘する。

2019年7月、ウィンブルドン選手権で初戦敗退し、記者会見する大坂なおみ選手。この後、記者会見を打ち切った=ウィンブルドン(共同)

 ▽記者会見の改善を

 大坂選手が提起したもう一つの問題は、記者会見の在り方だった。5月27日のツイートで、自分自身の体験も交えながら、メンタルヘルスに与える影響が考慮されていないと訴えた。5月31日のツイートでは「一部の規則が時代に合っていないと強く感じていて、それを強調したかった」と説明した。

 大坂選手が記者会見の在り方とメンタルヘルスの問題を提起したことを受けて、テニスの四大大会の主催者は「(大坂選手が)コートを離れている間、可能な限りの支援を提供したい。選手、ツアー、メディア、そしてテニス界全体と協力して意義のある改善を目指したい」などとする共同声明を発表した。

 この対応について、内田医師は「こういう海外の大会の主催者にはアドバイザーがちゃんといるのだろうが、四大大会の主催者から大坂選手に寄り添うメッセージがかなり迅速に出された。そういう人たちが暮らしやすい形にしていく努力を、社会がしていくことは大事だ」と評価した。

 全仏オープンなどテニスの四大大会では、選手に試合後の記者会見への出席がルールで義務付けられている。負傷や身体的に不可能な場合を除き、勝敗に関係なく、試合後の記者会見に出席しなければならない。違反すると最大2万ドルの罰金を科されるほか、失格処分もあり得る。繰り返し違反すると、四大大会への出場が停止される可能性もある。

 他のスポーツ、例えば、大谷翔平選手の活躍で注目を集める米大リーグ(MLB)はどうか。大リーグ機構のパット・コートニー最高広報責任者(CCO)にメールで質問したら、以下の回答をくれた。「選手には記者会見へ出席するように促すが、強制ではない。私の知る限り(記者会見に出なかった)選手が処分されたことはない」

 大リーグではオールスターゲームやプレーオフ、ワールドシリーズなどで大リーグ機構が公式記者会見を設定するが、コートニーCCOによると、テニスのように選手の出席は義務化されていないようで、おおらかというか、選手を大人扱いしているような印象がある。個人競技のテニスと団体球技の野球の違いが記者会見への対応にも反映されているのかもしれない。

2020年の全米オープンで、人種差別に反対するメッセージをこめたマスクを着けた大坂なおみ選手(ゲッティ=共同)

 大坂選手は昨年夏の全米オープンでは黒人への警察の暴力に抗議して、被害者の名前を書いたマスクを日替わりで着用して注目を集めた。昨年末にはAP通信が「今年の女性選手」に大坂選手を選んだが、その理由は四大大会通算3勝目となる全米オープン優勝というテニスの実績だけではなく、人種的不公正と警察の暴力への反対を訴えたことも評価したから。AP通信は記事の見出しで大坂選手を「活動家でチャンピオン」と形容した。

 〝活動家〟は新たな問題に光を当てて、改善を求めた。

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