【連載】それでも、未来を信じて〈8〉「人道援助の可能性、そしてシリアの未来を信じて」

戦禍のシリアで、国境なき医師団(MSF)の活動を指揮した村田慎二郎が、その体験をつづる連載の最終話。

2015年にシリアの活動の任期を終え、日本に帰国した村田。より大きなサポートをシリアの人に届けるため、キャリアの大きな転換をはかります。

シリアのアレッポ県、MSF病院があった村で元気いっぱい遊ぶ子どもたち=2014年 © MSF

シリアのアレッポ県、MSF病院があった村で元気いっぱい遊ぶ子どもたち=2014年 © MSF

シリアでの活動を機に、人道援助のこれからの在り方について考えを巡らせるようになりました。MSFは医療援助活動とともに、活動中に目撃した人道危機を国際社会に向けて伝えていく証言活動も使命としています。シリアの窮状についても幾度となくプレスリリースを出してきていますが、国連安全保障理事会でシリア関連の決議案が否決され続けているように、状況を変えることにまではなかなか力が及んでいません。

一時は自分がしていることの意味を見失いかけたこともありました。しかし、あるシリア人の患者さんから「(国や国際社会に見捨てられる中で、)国境なき医師団の存在が“希望”だ」と言われたことで目が覚めたというのは、第1話でお話ししたとおりです。

例えば、MSFが事務局を置いているそれぞれの国で、世論から人道援助への理解や支持をより得られることができれば、シリアなどの紛争地における医療や人道援助の保護に関して、日本など各国政府のより積極的な行動を期待できるようになるのではないか、という考えが浮かびました。

2005年にMSFに参加して以降、現場に向かい続けていましたが、一度、MSF以外の場で学んでみたいという思いから、2019年、米ハーバード大学の公共政策大学院(ハーバード・ケネディスクール)に留学。世界中から集まった政治家志望の学生や官僚、軍人、国連関係者やビジネスパーソンたちと、課題解決に向けてどうアプローチすべきか、またリーダーシップとは何かを議論したことは一生の財産になりました。

2020年以降、新型コロナウイルス感染症の影響でシリアの人びとはさらなる苦境に置かれている © Abdul Majeed Al Qareh/MSF

2020年以降、新型コロナウイルス感染症の影響でシリアの人びとはさらなる苦境に置かれている © Abdul Majeed Al Qareh/MSF

帰国後の2020年には、MSF日本の事務局長に就任。MPA(行政学修士)の学びを生かし、今後は外交や医療政策の鍵を握る関連団体や政府、メディアへの働きかけといったアドボカシー活動にも注力していきたいと思っています。

MSF日本に寄付いただいている方の人数や金額が年々少しずつ増えていることを考えても、やり方次第で、さらに多くの方に関心を持っていただけるはずです。それをかなえるためにも、日本の社会に人道主義の種をまき、根づかせていきたい。そうすることで、シリアをはじめとする苦境にある世界の人びとに対して、いまより大きな医療・人道援助を届ける未来を作れると思うからです。

シリアの内戦はいまも終わりが見えていません。仮に戦争が終結しても、平穏な生活が戻るまでに残念ながら数十年かかると考えられます。しかしシリアの人びとには、それでも未来を信じて必ず生き延びてほしい。私たちを“希望”と言ってくれた一人のシリア人患者の思いに応えるためにも、私たち一人ひとりは何ができるのか、これからも問い続け、しっかりと行動を取っていきたいです。(完)

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村田慎二郎(むらた・しんじろう)

大学時代は政治家を夢見ていた。静岡大学卒業後、外資系IT企業に就職。営業マンとして仕事のスキルを身につけると、「世界で一番困難な状況にある人のために働きたい」と会社を辞め、MSFに応募。最初の派遣が決まるまでの1年半は、大の苦手だった英語の勉強をしつつ、日雇バイトで食いつなぐ。

南スーダン、イエメン、イラクなどでロジスティシャンや活動責任者として10年ほどMSFの現場経験を積む。

シリアでは内戦がぼっ発した翌年の2012年から2015年まで、現地活動責任者として延べ2年にわたり派遣される。この時の経験が大きな転機となり、後に米国ハーバード大学への留学を決意。大学院修了後、日本社会での人道援助への理解を広める活動に力を入れるべく、2020年8月、日本人初のMSF日本事務局長に就任。

1977年三重県生まれ。性格は粘り強く、逆境であればあるほど燃えるタイプ。

【シリア内戦の10年とは? 特集サイトはこちら】

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