【プロキオンS】ブロードアピール キャリア最大“5馬身差”の完勝も記憶に残らない理由

早々に先行集団を捕らえ5馬身差の圧勝を決めたブロードアピール

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=2001年プロキオンS】

このコラムを書くにあたり、まずは過去の勝ち馬を検索するところから始めるんですけど、このプロキオンS。栄えある第1回(1996年)の勝ち馬はナムラコクオーだったんですね。なんとも懐かしい。新規の競馬ファンの方はご存じないかもしれませんが、3歳春にはあのナリタブライアンのライバル候補だった馬です。

僕が同馬を初めて見たのは1994年5月のNHK杯。現在はマイルGⅠとして地位を確立していますけど、当時は東京の芝2000メートルで行われていて、ダービートライアルだったんですよ。漆黒の馬体がカッコイイ馬で。ナリタブライアンほどの切れは感じなかったのでダービー(2番人気6着)での評価は下げたんですけど、その2年後にダート1400メートルの重賞を勝つとは思いもしませんでしたね。しかしながら、彼の父はキンググローリアス。どちらに適性があったかは言うまでもないのですが、そんなところまで考えなかったんですよ。当時の僕は。

プロキオンSの話に戻しましょう。このレース、最初は春の阪神開催で行われていました。このイメージを共有できる人も、もはや少数派。そもそもプロキオンは冬の星座。その名前のままで夏にレースを開催している時点でもうメチャクチャな気がするんですが、これはスルーしましょう(苦笑)。現在のような夏開催──といっても当時は6月施行でしたけど、この季節に移行した2000年の勝ち馬はゴールドティアラ。松田国英厩舎の管理馬で末脚の切れる馬でした。

同厩舎は翌年のプロキオンSも勝っていて、その勝ち馬こそがブロードアピール。ピッチ走法で小気味のいい走りをした馬です。2018年のダービー馬ワグネリアンが彼女の孫(母ミスアンコールがブロードアピールの産駒)にあたるんですけど、この馬が出てきたときに管理する友道調教師は「ディープインパクトよりもブロードアピールに似ている」なんて話をしていましたね。同調教師は松田国厩舎の出身。こんな話を聞くと〝競馬はつながりが大事〟と感じたりもします。

個人的には追い込みが利かない京都ダート1200メートルで前に行った馬が残る重馬場の中、2着エイシンサンルイス、3着サウスヴィグラスと強力な先行馬を捕まえてしまった栗東S(00年)のほうが印象は強いのですが、このプロキオンSで2着レイズスズランにつけた5馬身差はキャリア最大の着差。この1戦こそが彼女のベストレースなのかもしれません。

騎乗していたのはケント・デザーモ騎手。JRA―VANでも動画が出てこないほど昔のレースなので、YouTubeで当時のテレビ映像を確認してみました。序盤は砂をかぶったためか、行き脚が付かずにポジションを下げてますが、外に出してからエンジン全開。4コーナーを回る段階で早々に前を射程圏に入れちゃってましたね。この時点で「勝ったも同然」の雰囲気。馬券を買っている人間からすれば、楽な気持ちで観られるレースです。実際、僕もブロードアピールから馬券を買っていたように思うので「貰った」と感じていたでしょう。

で、思ったわけです。ブロードアピールの魅力は「届かないようなところから飛んでくる」ところ。つまりはヒヤヒヤ感とセットなのですが、この1戦にはそれがありません。早々に〝勝ち確定〟のフラグを立ててしまっているんです。キャリア最高とも思えるレースであるにもかかわらず、ブロードアピールの名とともに思い出されるレースとならなかった。その理由はここにあるような気がしています。

まあ、後ろから行って5馬身差。普通の馬であれば、記憶に残るレースの有力候補です。ブロードアピールがそれだけ魅力のあるレースをしていたということですよね。彼女の現役時代を知らない方は前述の栗東S、根岸S(00年)などとともにこのプロキオンSもチェックしてみてください。ちなみに芝のレースでもすごい脚を使っています。要注目は00年のシルクロードSあたりでしょうか。

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