コロナ禍で人口270人の限界集落にホテルをオープン 「森の国」から発信する新しい生き方と暮らしのヒント

コロナ禍で逆境に立たされるホテル事業。まだ回復のメドがなかなか立たないなか、ホテル専業からまちづくりや地域の創生へと大きく事業転換した会社がある。瀬戸内海周辺で7軒のホテルを経営するサン・クレア(広島・福山市)だ。同社が2020年3月、新型コロナウイルス感染拡大の状況下でリニューアルオープンしたホテルは、愛媛県で一番小さな町の山の上。同社代表の細羽雅之さんはこの「森の国」を拠点に観光客のロングステイや新しい移住のあり方、自然のなかでの教育事業の提案など、人間らしい持続可能な生き方や社会を育む事業化精神を発揮している。(井上美羽)

コロナウイルスの感染拡大とともに大きく変化した人々の生活様式は、これまでの都市生活や働き方に疑問を呈すことになった。都市集中型の流れから一変、リモートワークやワーケーションが増えたことは、地方創生に新たな視点を提供する契機になった。

サン・クレア代表の細羽雅之さんは今年3月、家族で都市から「森の国」とも呼ばれる限界集落へ移住をした。そして、ここにはホテルをきっかけに東京などの都心から経営者やデザイナー、シェフ、クリエイター、大学生など多種多様な“大人”が集まってくる。

なぜコロナ禍でホテルをオープンしたのか。なぜ家族で移住することを決めたのか。なぜ “何もない”限界集落に人が集まるのか。彼の全ての決断の裏側には「自然とともに生きる」精神が宿っていた。

ホテル事業から、地方創生、まちづくり事業へのシフト

広島県に本社を構えるサン・クレアは3年前、2018年7月7日の西日本大豪雨による被害により、運営継続ができなくなった松野町町営「森の国ホテル」の再生を引き受けることになった。しかし、リノベーション工事を経て2020年3月「水際のロッジ」としてオープンしたその矢先、緊急事態宣言が発令され、いきなり休業という決断を迫られた。

2020年3月リニューアルオープンしたホテル「水際のロッジ」

「ホテル業は今回のコロナウイルスによる影響で売り上げも大きく落ちて、深く傷ついた業界でした。だからこそ、強制的にトランスフォームせざるをえない状況になりました。この先にあるものがはっきりしているわけではなかったのですが、ラットレースのような、ずっと走り続ける従来の資本主義社会から抜け出さなければいけないということだけは直感的に感じました」

社会や経済のあり方、さらには人々のライフスタイルに対する価値観が大きく変わった2020年。細羽さん自身、1年間圧倒的な大自然の森に囲まれて暮らしたことで「人間らしく生きることの大切さ」に気づいたという。

「東京を中心とした都市生活があまりにも自然から離れすぎていて、不自然であると感じるようになってきたんです。この先にある未来の社会の姿が何かを、かみ砕いて考えていったときに、ここでのまちづくりという形が見えてきました。

まちづくりとは、その土地にしかない土や自然、文化的なストーリーや、人の営みを、深く理解して掘り起こし、つないでいくことだと考えています」

限界集落だからこそ感じられる可能性

愛媛県宇和島市と高知県四万十市に隣接する松野町は、1991年に開業した「森の国ホテル」を皮切りに、「森の国」という名をつけた様々な施設を町内に設置した。こうして現在に至るまで「森の国」の愛称が県内外に浸透し、この町の観光業を後押ししている。

「水際のロッジ」がある松野町目黒集落は人口わずか270人、高齢化率は63.7%。スーパーもコンビニも、駅もない消滅寸前の超限界集落だが、そんな場所だからこそ、新しい人や技術、アイデアを受け入れる余白があり、持続可能なまちづくりの可能性があるのだと、細羽さんは語る。

例えば、同社は昨年の9月、この町で30年ぶりに新しい店「森とパン」をオープンした。開店後30分で完売することもあるほどの人気で、地元や隣町から地域住民が集まるコミュニティーの場としても機能している。

オープン当初は大行列「森とパン」

また、AI(人工知能)を使った鳥獣監視システムを山の中に試験的に設置したり、E-bike(電動バイク)のサイクリングツアー事業を今秋から開始したり、デジタルと自然が共生した持続可能な社会の実現に向けた事業展開を多方面に繰り広げている。

さらに、「自然との共生も大切な教育環境」だと語る細羽さんは、今年8月にサン・クレアとして初の教育事業「NAME CAMP」をプロデュース。滑床渓谷の周りの大自然の森の中で子どもたちが「生きる力」を育むための野外教育プログラムを始める。

「田舎は、少人数だからこそ公正に個別最適化された学びや、大自然があるからこそ創造性を育む学びを実現するための教育環境を実現できるのです」

四万十川の源流が流れる滑床渓谷

大人が子どもゴコロを取り戻す場所

森の国は、子どもだけではなく、大人も「子どもゴコロ」を取り戻し、創造性、クリエイティビティを発揮できる環境だという。

「日本には、空気を読むことが求められ、出る杭は打たれるといった同調的な風潮がありますよね。年功序列型の終身雇用で、上の人の話、礼節マナーを守る日本の文化は独特すぎて、国際社会の中で日本がガラパゴス化していきました。私は平成の30年間で日本が低成長しているのを見ながら、日本の同調的な風潮に対する違和感をずっと感じていました。これは、ある意味思考停止している状態です。都会の会社勤めで、毎日スーツを着て、電車に乗り、同じ仕事を続けていると、クリエイティブな発想は生まれなくなってしまうんですよね」

空き家の奥から出てきた箪笥をDIYしてできた箪笥階段。この発想は20代の新卒社員から生まれたアイデア

「まだ子どもゴコロが残っていれば、例えば『階段を作ろう』となった時に『空き家の奥から捨てられそうな箪笥を階段にしよう』という発想が生まれてくるのです。クリエイティブな発想を生み出すためにも、常に子どもゴコロは大事にしています」

この子どもゴコロこそが、彼が森の国で数々の新事業を展開することができている秘訣なのかもしれない。

自らが移住モデルに

ホテルをきっかけに森の国にやってきた人たちが、観光で終わらずに、ロングステイや、移住体験までできるような仕掛けも考えているという細羽さん。だからこそ、自らが今後のライフスタイルを提案するロールモデルとなるために、一軒の古民家をリノベーションし、家族での移住も決めた。

「将来的には、自分たちが住んでいるこの家を、1〜2週間のプチ移住体験や、1カ月〜半年単位のセミ移住として気軽にショートステイできる宿泊施設にしたいと考えています。ホテルでもなく、住居でもない、その間のサードプレイス的空間です」

リノベーションした古民家の内装デザインは細部までこだわりつくされている

現在「水際のロッジ」では、夏に向けて県内の旅行者を中心に少しずつ稼働が増え、夏休みのピーク時は満室が続く。密を避けられる大自然の中にホテルがあることも、特にこの時勢においてプラスに働いているのだろう。

取材を終えて
脈々とつながって流れているものを受け継ぐことが重要だと考える細羽さんは、初代松野町町長が残した言葉を大事にしている。

『この森に学び、この森にあそび、あめつちの心に近づかむ』

「流行やトレンド、ビジネス理論もスキルも、結局は枝葉の部分で、長くても10年や20年で廃れていってしまいます。100年、1000年残るものが芯であり、森の国には、そうした真理が隠されているのです」と語る細羽さんの話を聞いていると、持続可能な社会を実現できるヒントは、森の中の自然環境にたくさん潜んでいるのだという考えがより確信に近づいていく感覚があった。

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