<レスリング>【2021年東京オリンピックにかける(3)】幸運のオリンピックではない! 出るべくして出る晴れ舞台…男子フリースタイル57kg級・高橋侑希(山梨学院大職)

 

(文=ジャーナリスト、粟野仁雄)

Zoomでインタビューを受ける男子フリースタイル57kg級代表・高橋侑希(山梨学院大職)

 生真面目で誠実な男である。7月6日のリモート記者会見。ある記者に妻・早耶架さんとの馴れ初めを問われると、「馴れ初めですか?」と、真剣な顔をして懸命に詳細を思い出そうとし、「高校時代に…」と語り出した。普通なら照れ笑いしたり、笑ってごまかしたりしそうなもの。奥さんは幸せ者である。

 早耶架さんら家族が寄せ書きしてくれたハンカチをシングレットに忍ばせて臨んだ決戦が、6月12日に東京で行なわれた東京オリンピックの最後の切符を賭けたプレーオフ。攻防の末、高橋が4-2でリオデジャネイロ・オリンピック銀メダルの樋口黎(25歳=ミキハウス)に勝利した。敗れた樋口はマットにうずくまっていた。高橋はマットを降りてから、「よしっ!」と雄たけびを上げた。高橋の優しさだろう。

 ネット中継からも落ち着いて闘う様子が伝わった。試合後、「追いつかれたときも、この程度かなと感じた」という意味の発言をしていた。はた目には分からずとも、選手には皮膚感覚で伝わる。減量に最後まで苦しんだ樋口から余力が感じられなかったのだろう。それを問うと、高橋は「僕は試合に勝つためのコンディション作りができていた」と振り返った。

「自分が取った出場枠を、人には渡さない!」

 地獄からはい上がってつかんだ切符だった。三重県出身。全国中学生選手権2連覇を経て、三重・いなべ総合学園高ではインターハイ3連覇。山梨学院大学3年生の2014年に全日本選抜選手権を制し、2017年に世界選手権で優勝し脚光を浴びた。しかし、その前年、2016年のリオデジャネイロ・オリンピックは、予選の全日本選手権で敗れ切符を逃していた。

2007年、2年生で全国中学生選手権を制した髙橋(左)

 2019年9月、3位以内なら東京オリンピック代表が決まったはずのカザフスタンの世界選手権も精彩がなく逸した。同年12月の全日本選手権では樋口に敗れ、東京オリンピックは絶望視された。ところがオリンピックは延期。ことし4月のアジア予選で日本の枠を取りに行った樋口が計量失格し、5月の世界最終予選は高橋に託された。役目を果たした高橋は「自分が取った出場枠を、人には渡さない!」の執念でプレーオフをものにした。 

「リオのときも、レスリングをやめてしまいたいとは思わなかった。レスリングが好きなんですね」とほほ笑む高橋は、現在、筑波大学大学院でコーチ学などを学ぶ一方、母校の山梨学院大学のレスリング部で後進を指導する。山梨学院大学は東京オリンピックで乙黒兄弟(圭祐・拓斗)と合わせ、フリースタイル4枠中、3人が選ばれている。

リスクのある指導者と現役の兼任だが、自己に生かせている

 どんなスポーツも、指導者と現役の「兼任」はマイナスになるリスクがあるが、高橋は「コーチしていて、自分を客観的に見ることができるようになった」と言う。後進指導や座学を、現役選手としての自己に生かしきった。

プレーオフを支えた寄せ書きハンカチを見せる高橋=撮影・保高幸子

 スタミナのある高橋だが、心肺機能の強化にも余念がない。「走るのは足首やひざなどへの負担などがあるので、バイク(室内のトレーニング機器)でトレーニングしています」と細心の注意を払う。

 筆者は、5月の明治杯全日本選抜選手権で女子の試合を取材したが、終了間際にポイントが追いつき、勢いのまま向かっていった選手が鮮やかに返されて負けていたりした。短い試合時間で、冷静な判断は難しい。「以前は、負けてもいいから攻める、でした。でも、やはり1点差でも、3点差でも4点差でも、負ければ代表にはなれないのです。考えが変わりました」

 高橋の変容は、何度も「ここ一番」で敗れてほぞをかんだ(後悔すること)結果だ。「リオのときも、全日本でも…。いつも大事な試合に負けていて」と振り返った。しかし、苦しんだ間に自己の弱点を冷静に分析し、軌道修正してきた。

 男子レスリングの復権を目指すべき大舞台について、最軽量級であるがゆえに日本勢の「先鋒」と勘違いした筆者が(試合日はレスリング競技5日目)、「高橋さんがこけたら、みんなこけるかもしれないから、頑張ってください」と、思い切りプレッシャーを与えると、真剣な顔でうなずいた。

 「自分を強いと思ったことはないが、コンディション作りは人に負けない」と言う27歳の美男レスラーは、オリンピック延期やライバルの減量失敗で運よく東京オリンピックのマットに立つのではない。立つべくして立つのである。

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