「もういいかな」 19歳での引退から復帰…元侍女子代表、126キロ右腕の“覚悟”

東近江バイオレッツ・坂原愛海【写真提供:東近江バイオレッツ】

昨年末女子プロ野球を退団、一度は19歳で現役引退

2018年の女子野球ワールドカップで6連覇に貢献した坂原愛海投手が今季、新たなスタートを切った。昨年末に女子プロ野球の京都フローラを退団して19歳の若さで現役引退を発表したが、京都両洋高時代の恩師である上田玲監督率いるクラブチーム「東近江バイオレッツ」に加入。心機一転、アマチュアで日本一を目指す。

最速126キロを誇る20歳右腕が再びグラウンドに戻ってきた。「今はこのチームで日本一を目指したいという気持ちです」と言い切る表情に迷いはない。

一度は未練なく、野球から完全に離れたつもりだった。「元々プロに入る前から、プロで野球を終えると自分の中で決めていたので」と昨年12月に現役引退を発表し、そのまま京都で仕事を探し始めた。アマチュアチームからの誘いを断り、自分で面接を受けて一般商業施設に就職。だが、お店の案内などして毎日を過ごすうちに、野球への思いが募っていった。

「あっという間に1日が終わるというか。本当に何も刺激がない毎日を続けるうちに、野球をやめたことに対して後悔じゃないですけど、やっていた方が良かったんじゃないかという思いがでてきたんです。野球をしていなかったら、自分がダメな人間に感じてきて。こんな人生を送っていいのかなと思い始めました」

高校で日本一、日本女子の野球W杯6連覇にも貢献

トップ選手の道を走ってきた。京都両洋高3年だった18年に高校選手権で優勝投手になり、侍ジャパン女子代表としてフロリダで行われた女子野球ワールドカップに出場して6連覇に貢献、19年には女子プロ野球入りした。「去年やめる時には、全部夢は叶えたし、もういいかなという思いでした。そう言い聞かせていたのかもしれません」と坂原は苦笑混じりに明かす。野球から完全に離れたことで、野球の存在の大きさに気がついた。

時々母校の練習に顔を出すようになった坂原の心境の変化を京都両洋高の上田監督は見逃さなかった。「女子プロをやめた時に誰もが『なんでやめるの?』って言うような選手でしたから。ただ、それほどの選手が自分でやめると決めたので、簡単に『またやったら?』とは言えないですよね。でも、諦めてはいなかったです。どこかで気が向いてくれないかなと思っていました。練習に来て、体を動かしている姿を見て、野球がやりたいんだなと思いました。それで『やれる場所はあるよ』と伝えたんです」と上田監督は語る。

その場所とは、上田監督が高校と同時に指揮をとるクラブチームの東近江バイオレッツ。滋賀県東近江市に拠点を置く設立4年目の地域密着型チームだ。坂原は「上田先生のひと言で救われたというか、踏み出すことができました」と飛び込んだ。

東近江バイオレッツ・坂原愛海【写真提供:東近江バイオレッツ】

監督に恩返しを、そしていつか再び侍ジャパンに

選手は坂原を含めて15人。地元企業で働き、シェアハウスで生活しながら野球に打ち込み、地域の中小事業主が中心となって運営を行っている。「本当に温かいチームです。もう1回野球ができるうれしさとともに、こんなに恵まれているところでできるうれしさもあります」と坂原は言う。

気持ち的にはすぐにでも東近江市に引っ越したかったというが、今も仕事が休みの日に京都から1時間かけて通っている。その理由も責任感の強い坂原らしい。「自分が野球をやめると言って始めた仕事なので、すぐに辞めるのも良くないですし、自分で決めてこの環境に身を置いているので。1年間はこの形でやって、来シーズンから向こう(東近江市)に行けたらいいなと思っています」と微笑んだ。

女子野球との向き合い方も大きく変わった。「1回離れたからこそ、これからはずっと関わっていきたいという思いがでてきました。今までは自分がやめたら終わりという考えだったのですが、上田先生と長く話す機会も多くなり、自分自身で女子野球を広めていけたらいいなと思うようになりました」と将来を見据える。

半年近いブランクを経て、3月31日にチーム入り。また日本代表のユニホームを着たいという思いも芽生えてきた。「将来的にもう1回なれたらいいなという思いはあるのですが、1回野球から離れたという事実は自分の中では捨てきれないので。まずはチームに貢献できるように。プロでは結果もなかなか出なかったんですけど、このチームで日本一に貢献できるようになってからだなと思っています。まずは監督に恩返しをしてから」とまっすぐに言葉をつないだ坂原。その表情は野球ができる喜びにあふれていた。(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)

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