【1977年8月2日】猪木VSモンスターマン 激闘を制し試合後には号泣

【写真左】モンスターマン(左)の飛び蹴りに猪木の表情がゆがむ【写真右】再戦はモンスターマンの惨敗だった

1976年2月6日のウィリエム・ルスカ戦で始まったアントニオ猪木の異種格闘技戦は、6戦目にして初めてキックボクサーとの対戦が組まれた。プロ空手世界ヘビー級王者“ザ・モンスターマン”エベレット・エディだ。猪木が自身のキャリアを振り返る時、思い出深い試合の一つとして必ず挙げるこの一戦。そこにはどんな思いがあったのか――。

異種格闘技戦2戦目のモハメド・アリ戦(76年6月26日)は今でこそ再評価されているが、当時は「世紀の凡戦」とボロクソに批判された。その後、アンドレ・ザ・ジャイアント戦、ルスカとの再戦、アクラム・ペールワン戦と緊張感のある戦いが続いたが、アリ戦の不評を払拭するには至らない。それだけにモンスターマン戦は、異種格闘技路線の今後を左右する重要な一戦だった。

77年7月25日に来日したモンスターマンは翌26日早朝、早速ランニングなどで体を動かし、余裕の表情で取材に対応。来日前“アリの刺客”と紹介されたことについて「アリのボディーガードをしていたことは事実だ」と明かし、こう続けた。「喧嘩ならアリにも絶対に負けない。俺は猪木を3ラウンドまでにマットに沈めてやるが、アリからその約束として10万ドル(約2400万円)を受け取ることになっている」

さらに試合のプランを聞かれると「まずキックだ。それもただのキックじゃない。一撃で相手を倒せるニールキックを猪木のアゴにたたき込んでから左、そして右のパンチでヤツをキャンバスに沈める」と手の内を惜しみなく明かしてみせた。

8月2日、決戦の舞台・日本武道館には1万1000人(主催者発表)のファンが詰めかけた。異様な熱気に包まれる中、3分10Rのゴングが鳴る。果たして、モンスターマンは想像以上の実力者で、当時はいなかったタイプ。キックに独特のリズムがあり、予測できない動きを見せる。猪木の顔面、脇腹を何度も捉え、宣言通りの展開になりつつあった。

一方、猪木は公開練習や調印式をキャンセルして左足首の治療を行うなどコンディションを不安視されたが、動きは良く、打撃をかいくぐって投げ技を繰り出すなど見せ場を作る。何より両雄の動きがうまくかみ合い、その動きが止まることがなく、見ていて面白い試合になった。

勝負が決したのは5R。モンスターマンはロープ際での攻防から掌底をまともに食らってダウン。続けて、今でいうパワーボムのような形でマットにたたきつけられ、左肩を負傷。さらにギロチンドロップと畳みかけられ、レフェリーの10カウントが入ってKO負けとなった。

試合後、控室で「左肩が痛い」とうめくモンスターマンを手当てしたリングドクターは「強い打撲による左肩脱臼。筋も痛めているので全治6週間」と診断した。

一方、猪木は控室でまさかの号泣。「私は昨年の6月26日に受けた屈辱をなんとしても晴らすために、今日という日をそれこそ死に物狂いで戦った。アリの刺客だろうがなんだろうが、全部、片っぱしからやっつけて、なんとしてもアリと再戦を果たす」と絞りだした。

78年6月7日、福岡スポーツセンターで行われた再戦は猪木の一方的な勝利に終わったが、1戦目は後に「屈指の名勝負」といわれるほどで、異種格闘技路線を本格的に軌道に乗せるのに大きな役割を果たした。モンスターマンがまれに見る実力者だったからこそ名勝負となり、猪木に“うれし涙”を流させたのだ。(敬称略)

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