高島秋帆と渋沢栄一

 実業家渋沢栄一が主人公のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」に、幕末長崎の洋式砲術家、高島秋帆(しゅうはん)が登場したのはうれしい驚きだった▲江戸幕府への謀反というぬれぎぬを着せられ岡部藩(埼玉県深谷市)で幽閉された秋帆と、同地生まれの幼い渋沢が出会い、心を通わす筋書きだった。ただ残念ながら秋帆と渋沢が会った歴史上の確証はない▲秋帆は1841年、徳丸ケ原(東京都板橋区)で砲術演習を披露し世を驚かせた。板橋区には大砲の形をした立派な秋帆の顕彰碑がある。大正期の建立で、渋沢は費用に今の貨幣価値で約10万円を寄付しているから、秋帆に尊敬の念を抱いていたようだ▲秋帆は早くから外国の脅威を認識し、洋式軍備の導入を幕府に進言した。海の向こうを見据える長崎人らしい先覚者は和華蘭(わからん)の教養を備えた文化人でもあった。長崎歴史文化博物館の秋帆特集展(19日まで)を見れば、雄渾(ゆうこん)な書や軽妙な画に感服する▲この偉人の常設展示が板橋区立郷土資料館にはあるのに、長崎では業績に触れる場が意外なほど少ない。東小島町の旧宅は国指定史跡だが、石倉のほか目立つものはなく、この時季はまさに「夏草やつわものどもが夢の跡」の趣となる▲秋帆の故郷に像や常設展示の場を-長崎の歴史愛好家からしばしば聞かれる声だ。(潤)

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