プロ選手からプロの審判へ 後進のためロールモデルに Jリーグレフェリー御厨さん

JリーガーからJリーグのレフェリーに転身した御厨さん。J2第20節、琉球―松本戦も主審を務めた=沖縄県沖縄市、タピック県総ひやごんスタジアム

 長崎市出身の元Jリーガーが、Jリーグの主審として活躍している。甲府などでプレーした御厨貴文さん(37)=東京都在住=は2014年に引退後、1級審判員に転身。会社勤めをしながら、週末にプロのピッチで笛を吹く生活を送る。ジャッジは正しくて当然、誤審があろうものならたたかれる-。そんな厳しい道を選んだ理由や、理想の審判像を聞いた。

 -「第二の人生」に審判を選んだ理由は。
 好きなことを職業にして、30歳までプレーできた。大切なサッカー界のため、みんなが嫌いなことをやろうと引退間際から考えていた。Jリーガー出身のJリーグ審判員は、自分を含めて現在2人しかいない。選手と審判の関係性から敬遠しがちな職業だと思う。でも、サッカーを成立させるために絶対必要な存在。セカンドキャリアに悩む選手が多い中、どうやったらなれるのか、どういうトレーニングが必要か、収入はどうなのかとロールモデルを示して、後に続いてくれる人が出てくれたらうれしい。

 -審判員に兼業が多いことはあまり知られていない。どういう日常を送っているのか。
 平日は早朝から走って電車通勤。夕方6時まで仕事で残業の日もある。帰ってから、また夜にトレーニング。土日に試合があって、必要なら金曜の夜に移動。月曜からまた仕事というサイクル。審判も1試合に10~14キロ走る。いいパフォーマンスをしようと思うなら、いい場所でプレーを見ないといけない。トレーニングは欠かせない。

 -日本サッカー協会(JFA)が認定する「プロフェッショナルレフェリー」を目指している。現在主審13人、副審4人しかいない狭き門。
 Jリーグ選手からプロの審判員になった事例はまだなく、それが求められている。今はJ2担当なので、まずはJ1担当にならないといけないし、そこで認めてもらえるくらいのパフォーマンスをしないといけない。プロは審判業だけでなく、講演活動や指導育成の仕事もある。

 -理想の審判像は。
 サッカーは「余白」があるスポーツ。いきなりファウルから警告とならないし、イエローとレッドの間に範囲がある。どちらか決めるのは審判で、そこに人それぞれの価値観、サッカー観がある。プロリーグを担う一員という心持ちで、選手やチームと一緒に、ファンサポーターにいい商品を届ける思いで笛を吹いている。

 -元選手の強みは。
 技術面もあるが、一番はプレーの裏側を見ようと心掛けている。なぜこのプレーをしてしまったのか、このプレーをするためにどういう練習をしてきたのか。選手の後ろにはクラブや家族やファンサポーターがいる。そこを知っていると、笛の音色、シグナルの指し方、選手との会話の表現が変わってくると思う。自分なりに酌みながらやろうとしている。
 ただ、同じサッカーでも選手と審判では違うスポーツだと感じる。プレーをしていた誇りはあるが、変なプライドはいらない。会社でも、例えば営業マンと経理担当者では必要なスキルが違う。それと同じ。

 -V・ファーレン長崎の試合を任される可能性もあるのか。
 いろんな規定があるけれど、可能性はある。知り合いがクラブに関わっているかもしれないし、ファンとして見に来ているかもしれない。その中で審判を務められるのならば、すごくうれしい。長崎で出会った友だち、先生、指導者、近所の方々も含めて、すべてが自分にとって価値観の源になっている。

 【略歴】みくりや・たかふみ 長崎市出身。南陽小、土井首中、海星高、大体大と進み、2007年に当時J1の甲府へ入団。草津(現在の群馬)と富山に移籍し、DFとしてJ通算163試合に出場した。14年引退。会社勤めと並行して審判への道を志し、18年に1級審判資格を取得。19年11月に初めてJ3の主審を務め、21年からJ2担当。中学高校の教員免許も持つ。


© 株式会社長崎新聞社