「天国の副主将と甲子園に」 特別な思いで臨む壱岐高 第103回全国高校野球長崎大会 第4日

怜聖さんの遺影を手に試合を見守る母の真由美さん=諫早市第1野球場

 「怜聖(りょうせい)と甲子園に」-。今夏、壱岐の選手たちは特別な思いを胸に大会へ臨んでいる。昨秋、副主将だった辻村怜聖さんが、突然の病に倒れて死去。かけがえのない友を失った悲しみ、悔しさを背負い、チームは諫早東との1回戦を七回コールド勝ちで発進した。
 怜聖さんは石田小3年で軟式野球を始め、中学、高校と白球を追ってきた。昨年、新チームが発足すると、外野の主力として副主将を任された。当時部長だった坂本監督が「誰よりも練習していた」と振り返るように、何事にも真面目で熱心。周囲を気遣える優しい性格の17歳は、みんなに慕われていた。
 病は突然だった。昨年9月19日の深夜、遠征先の大村市内の宿舎で、廊下で倒れているのをチームメートが見つけた。主将の赤木が救急車を呼び、国立病院機構長崎医療センターに搬送された。
 医師から先天性の脳動静脈奇形と告げられ、小脳出血で2度にわたる大手術を受けた。選手たちは大切な仲間の回復を信じて、学校で応援歌を収録。「頑張れ」と励ます動画やボイスメッセージを送った。だが、願いは届かなかった。倒れてから6日後の25日、静かに息を引き取った。
 その後、選手たちは遠征や試合の前日などに、怜聖さんの自宅敷地内にある墓を訪れ、手を合わせてきた。自然と「怜聖と甲子園に」が合言葉になった。
 迎えた怜聖さんの“高校最後の夏”。選手たちはこれまで同様、墓参りをしてから、試合に臨んだ。ベンチに置いた遺影の前で、一人一人が全力を尽くした。中学からの同級生でエースの赤木は6回10奪三振の力投。石田小時代からの後輩で4番の小畑も2安打1打点と気を吐いた。赤木は「天国から怜聖が見てくれている。負けられない」、小畑も「一つ一つ勝って、怜聖さんに報告する」と言葉に力を込めた。
 スタンドには両親の勝さんと真由美さん、小学6年の弟の泰聖くんが駆けつけ、遺影とともに試合を見守った。躍動する選手たちに真由美さんは「一緒に戦ってくれて…。感謝の気持ちでいっぱい」と声を詰まらせ、そっと涙を拭った。

 


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