日本のロックとは何か? 80年代に桑田佳祐が問いかけた「NIPPON NO ROCK BAND」  1986年7月14日 KUWATA BANDのアルバム「NIPPON NO ROCK BAND」がリリースされた日

本格的アーティストとして評価された「いとしのエリー」

1986年7月14日、KUWATA BANDのアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』が発表された。

桑田佳祐が率いるサザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でレコードデビューしたのは1978年6月だ。タイトルで、前年1977年の大ヒット曲である沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」をパロったり、楽曲自体もラテンをベースにしながらいろいろな音楽エッセンスをちりばめた仕立てになっているなどのギミックで大きな話題を呼び、異色の新人グループとして華々しく登場した。しかし、一方で彼らは色物バンドと認識されることにもなり、コミックソングの一発屋で終わるのではないかと見られることも多かった。

しかし、サードシングルとして発表したバラード「いとしのエリー」(1979年)の大ヒットによって、彼らは本格的アーティストとして評価を得ることになった。

サザンオールスターズで見えてきたバンドとしての課題

80年代に入ると、テイストの違う新曲シングルを毎月リリースする “ファイブ・ロック・ショー”(1980年2月~7月 ※4月はリリース無し)を展開したり、『ステレオ太陽族』(1981年)をはじめ新たな音楽性にチャレンジするなど、サザンオールスターズは、勢いで走るだけでなく、クリエイティブなバンドであろうとする姿勢を見せていく。しかし、そうした意気込みが明確になるとともに、バンドとしての課題も見えていったという気もする。

ひとつには、デビュー曲「勝手にシンドバッド」に象徴される、洋楽から歌謡曲までさまざまな音楽要素をごった煮にした奔放な面白さがあまりに強烈だったために、彼らにはロックバンドとしての素性(ルーツ)がよくわからないという感じがあった。

当時のロックバンドには、ブルース、ハードロック、プログレッシブロック、フュージョンなど、ベースとなっている音楽スタイル(洋楽)が分かりやすいものが多かった。サザンオールスターズのサウンドも、洋楽がベースになっていることは間違いないのだけれど、多様な音楽性が入り混じっているイメージがあった。しかも、それに加えて60~70年代歌謡ポップスのテイストが濃厚に漂ってきて、まるで素性の知れない無国籍ポップスのように聴こえてきたのだ。

サザンオールスターズ活動休止、本格化させた“個”を追求する活動

桑田佳祐の独特な歌唱スタイルもリスナーをとまどわせたのではないかと思う。歌詞は日本語なのだが、普通の一つの音に一つの音を当てるのではなく、まるで英語のような発音で、サウンドのビートに載せて早口に言葉を重ねていく。そんな歌い方をするシンガーはそれまでに居なかった。その唱法に対しては、これでは歌詞がわからないという反応がある一方で、ヴォーカルのテンポ感がダイナミックでかっこいい、という評価もあった。

歌詞のつくり方も、詞でストーリーを描くというよりも言葉のインスピレーションを重視して、心に残るフレーズがちりばめられていく感じだった。

サザンオールスターズは当時の日本のミュージックシーンにおいてきわめて強い個性をもったロックバンドだった。しかし、彼らがそのオリジナリティを発展させていこうとした時に、課題となったのがメンバーそれぞれの “成長” だった。80年代の前期にも、グループ活動と並行して、桑田佳祐、原由子、大森隆志、松田弘がソロアルバムを発表するなど、“個” の可能性を追求する活動を行っていった。

そんな “個” を追求する活動が本格化したのが1985年だった。この年にアルバム『KAMAKURA』を発表した後、サザンオールスターズとしての活動を休止し、メンバーは次の展開の可能性を探るためにそれぞれがソロ活動を行うことになった。

このタイミングで桑田佳祐が行ったのが、1年間の期間限定バンドであるKUWATA BANDの結成だった。メンバーはサザンオールスターズから松田弘(D)の他、河内淳一(G)、琢磨仁(B)、小島良喜(Kb)、今野多久郎(Per)という実力あるプレイヤーが顔をそろえた。この話を聴いた時、桑田佳祐はこのバンドで、サザンオールスターズとは違うテイストのロック表現にトライしようとしたのだと思った。

全曲英語詞の「NIPPON NO ROCK BAND」で示そうとしたものとは?

KUWATA BANDは1986年4月にファーストシングル「BAN BAN BAN(バンバンバン)」を発表。続けて「スキップ・ビート(SKIPPED BEAT)」「MARRY X’MAS IN SUMMER」「ONE DAY」をヒットさせていく。そして、このKUWATA BANDが発表した唯一のスタジオアルバムが『NIPPON NO ROCK BAND』だ。

このアルバムを聴いた時に、桑田佳祐はサザンオールスターズではなかなか見えてこなかった自分のロックミュージシャンとしてのルーツを示そうとしたのかな、と感じた。

同じKUWATA BANDでも、シングルではサウンドこそサザンオールスターズよりもストレートで骨太なロックになっていたが、楽曲自体はサザンオールスターズのテイストに通じると感じさせるものだった。しかし『NIPPON NO ROCK BAND』では、サザンオールスターズの匂いはさらに希薄になっていた。なによりも、全曲英語詞で歌われていることが印象的だった。これは桑田佳祐の根底に、「本格的なロックは英語で表現されるべき」という考えがあったということなのだろうと思う。

桑田佳祐がイメージする、あるべきロックのプロトタイプ

ロックは英語で歌わなければならないのか、というと、70年代初頭に、内田裕也 v.s. はっぴいえんど論争として語られたテーマを思い出してしまうが、一世代下の桑田佳祐にとっても、ロックは英語で歌われるべきだという思いがあったのかもしれない、ということになにか不思議な気がした。けれど、やはりここには日本におけるロックの本質とは、さらに言えば “日本の大衆音楽の構造をどう捉えるのか” という課題が反映されているのだろうと思うし、それはいまだに解決したとは言えないのかもしれないとも思う。

その意味で、『NIPPON NO ROCK BAND』の英語詞を手掛けたのが、1970年代に同じ英語か日本語かというテーマを抱えて活動したゴダイゴのメンバーだったトミー・シュナイダーだというのも感慨深い。

当時、桑田佳祐は『NIPPON NO ROCK BAND』で、“日本のロックのサンプルを作ろう” としたという。その言葉を踏まえて解釈すれば、このアルバムはこの時点での桑田佳祐がイメージするあるべきロックのプロトタイプなのだということになる。同時に、それは彼が自分の活動をインターナショナルなスケールで捉えて、そこで通用する音楽の在り方を模索していたということも示しているのだと思う。

『NIPPON NO ROCK BAND』は1986年度の年間2位というヒットアルバムとなり、同年のレコード大賞で優秀アルバム賞を受賞している。その意味では成功作と言えるだろう。しかし、この作品が “日本のロックのサンプル” になったのかという答えは出ていないのだと思う。本格的に海外でこのアルバムの評価を問うチャンスは無かったのだから。

KUWATA BANDの答え “日本のロックとは何か”

『NIPPON NO ROCK BAND』を聴いた時、桑田佳祐はサザンオールスターズでは明確にできない自分のロックのビジョンを表明したかったのかな、と思った。骨太のサウンドには洋楽のロックアルバムに近いテイストが感じられる、気合のこもった聴きごたえのあるアルバムだった。

けれど、それは逆に言えば、1986年における日本人が感じる洋楽ロックらしさの再現だったのかもしれないとも感じられる。だから、『NIPPON NO ROCK BAND』からは、サザンオールスターズのようにロックをはみ出していく魅力はあまり伝わってこない。むしろ、1970~80年代のロックらしさのテイストを色濃く感じさせる作品、という気がする。

しかし、そうであったとしても、このアルバムが “日本のロックとは何か” という本質的なテーマに対する真摯に答えようとした作品であることは確かだ。そして桑田佳祐によるその問いかけが、1988年に活動を再開してからのサザンオールスターズの作品にも反映されていることも間違いないと思う。

カタリベ: 前田祥丈

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