「人生終わった」医療的ケア児の子を愛すまで 支援法成立、理解広がるか

(左から)山本阿伎さん、瑛太ちゃん、知宏さん、彩心ちゃん=2020年10月(山本阿伎さん提供)

 日常的に人工呼吸器の装着やたんの吸引が必要な「医療的ケア児」。昼夜を問わず寄り添う家族の負担は大きく、離職に追い込まれる例も少なくない。6月に成立した医療的ケア児支援法では、国や自治体の支援を「責務」としたが、取り組みが進むかどうかは自治体次第の面もある。親たちは、障害への理解やケア児の受け入れ体制が広がることを切に願う。(共同通信=沢田和樹)

 ▽家にこもる日々

 5月、医療的ケア児の親たちが支援法成立を求め、2万6574筆のインターネット署名を国会議員に提出した。「涙なしでは語れない3年間。障害のある息子で『人生終わった』と思った。法律ができれば同じようなお母さんが減ると思う」。東京都の山本阿伎さん(38)はそう語り、涙を拭った。

支援法の成立を求める署名を提出した医療的ケア児の親ら=5月

 長男の瑛太ちゃん(3)は出産時のトラブルで脳性まひになった。たんの吸引や人工呼吸器の装着に加え、口から食事ができず、チューブで胃に栄養を送る必要もある。

 「歩くことも、話すこともできません」。新生児集中治療室(NICU)で医師から言われ、夫婦で泣き崩れた。「この子に未来はないと思ってしまった」。公園で走り回ったり、一緒に料理を作ったり。思い描いた夢が崩れていった。

 退院後は家にこもる日々だった。容体の急変に備え、心拍数を示すモニターの音が届く範囲までしか離れられない。理想とかけ離れた「死なせないための育児」。片時も気を抜けなかった。「一生、これが続くの?」。どん底の気分だった。

 助けを求めようにも区役所は何も積極的に教えてくれない。相談しても関連部署でたらい回しにあった。救いはインスタグラムで見つけた先輩の存在だ。ケア児を育てる母親にメッセージで助言を求めた。「デイサービスに子どもを預け、お母さんは休むんだよ」「訪問看護を受ければ、買い物に行けるよ」。全て先輩から教わった。

署名提出の場で、涙を拭う山本阿伎さん=5月

 ▽障害恐れぬ社会に

 どん底から抜けだすと「思い通りにならない悲しさを子どもに押し付けるのは違う」と思うようになった。瑛太ちゃんへの愛情は日に日に増していった。「かわいくてしょうがない。障害はないに越したことはないけど、これで良かった。私たち夫婦は命の重さに気付くことができた」

 夫婦と瑛太ちゃん、長女彩心ちゃん(1)の4人暮らし。夫の知宏さん(41)は飲食店で料理人をしていたが、家庭との両立が難しく3月に宅配業へ転職した。帰宅後、家事の一部と夜間のケアを担う。彩心ちゃんが生まれた際は育児休業を1カ月取り、ケアや育児への理解を深めた。

 訪問看護などを受け、阿伎さんも在宅勤務を中心に仕事を続けている。夫婦で衝突もあったが「育休を機に夫の行動が変わった。取ってもらって良かった」と言う。

 支援法では相談拠点となる支援センターの設置を都道府県に求めている。期待は大きいが、阿伎さんが最も望むのは障害への理解が広がることだ。今も福祉サービスの利用を断られたり、飲食店で入店を拒まれたりし、心を痛めることは多い。

 「女性は妊娠すると『もしも子どもに障害があったら』と考える。法律をきっかけに、障害があっても安心して暮らせる社会になれば、親が不要な恐れを抱かなくて良くなるんじゃないか」

 ▽10年で倍増、2万人に

 厚生労働省の推計で、医療的ケア児は全国に約2万人。医療技術の進歩で、昔は助けられなかった命を救えるようになり、過去10年で2倍に増えた。ただ、退院後を支える制度は整っていない。

 九州地方の坂口菜月さん(31)は、長女七海ちゃん(1)の預け先を見つけられずにいる。七海ちゃんは約1200グラムで生まれた。呼吸がうまくできず、生後3カ月で気管切開の手術を受けた。日中、数十分ごとにたんの吸引が必要だ。

坂口七海ちゃん=5月(坂口菜月さん提供)

 生後10カ月は授乳に加え、チューブで鼻から胃に栄養を送っていた。慎重に作業するため、夜中でも1回に1時間半は見守る必要がある。離乳食を取るようになり、その作業はなくなったが、「眠気との闘いできつかった」と話す。

 坂口さんは6月から仕事へ復帰することを目指し、昨年11月に保育所を探し始めた。体制が整っていそうな8カ所に電話したが、看護師や保育士の不足で全て断られた。育児休業を来年3月まで延長せざるを得なくなった。

 「ケアには慣れたけど、外に出ようとすると置いて行かれている感覚になる。常に親が主体で動く必要があり、心が折れそう」

 支援法では家族の離職防止が目的に掲げられ、保育所や学校に看護師を置くといった対応を要請している。「コロナ禍で看護師も足りないし、明日から何かが変わるとは思わない。でも、ちょっとずつで良いから変わってほしい」

 ▽仏に魂を

 支援法は、国会議員が提案する議員立法で作られた。立憲民主党の荒井聡衆院議員が2015年、ケア児を受け入れる東京都内の保育所を視察したことがきっかけだ。荒井氏は、入所していたケア児の母親が自民党の野田聖子衆院議員と知り、野田氏らと勉強会を設立。与野党の枠を超え、議論を続けてきた。

 法成立後、荒井氏は記者団に「ここまでやっとこぎ着けた」と語った。野田氏も「子どもたちが安心して生きていく道筋を作ることができた」と述べ、「計り知れない親の犠牲の上に成り立っていることを周知徹底したい。必要な人材や予算を獲得することが政治の場で大切だ」と強調した。

 今後は、自治体に行動を促せるかどうかが課題になる。成立後の集会でも、ケア児の親や国会議員らから「これからが勝負」「仏を作ったのだから魂を入れていこう」との声が上がった。

法成立後、記念撮影をする医療的ケア児の親ら=6月11日

 全国医療的ケア児者支援協議会、親の部会長の小林正幸さん(48)は支援法成立を「通過点だが、感無量だ」と話す。ケア児の息子(18)がおり、長時間働けないことに職場の理解を得られず2度転職した。

 支援に地域差を生じさせないためにどうするか、人手不足の中で福祉人材をいかに確保するのか、ケア児が学校を卒業後にどう支援を継続するか、課題は多い。

 「子どもにとって一年一年は重い。自治体には法律に基づく取り組みと、当事者の声を吸い上げる作業を同時並行で進めてほしい」

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