いつも笑顔の中心に彼女がいた 母校で育んだアニメーターの夢 京アニ事件2年

笠間さんの母校、大阪成蹊女子高に設置された「笠間文庫」(大阪市東淀川区)

 2019年7月の京都アニメーション放火殺人事件で亡くなった元社員笠間結花さん=当時(22)=の母校、大阪成蹊女子高(大阪市東淀川区)が、笠間さんの名前を冠した書架「笠間文庫」を校内に設置した。

 笠間さんの家族から「この学校で学んだ証しとして、後輩の皆さんに役立ててほしい。これは娘の気持ちです」と寄付金の申し出を受け、それを活用して昨年12月に設置した。

 笠間さんは快活で人懐こく、いつも友人たちの輪の中心にいた。「そんな彼女のように、自然と人が集まってくる場所になれば」との願いを込めた。

 笠間さんが大阪成蹊女子高の「美術・イラスト・アニメーションコース」に在籍したのは2012年4月からの3年間。美術科長の堀江靖之さん(59)は、アニメーターになる夢を実現するため、努力を続けた笠間さんの姿を鮮明に覚えている。

■創作活動どんどん真剣味

 堀江さんは、デッサンや水彩など、アニメーションを制作する上で基礎となる技術を指導した。笠間さんが授業に集中しきれていない時には、厳しい言葉を掛けることもあった。ただ、叱られても萎縮したり、ふてくされたりすることはなく、乗り越えるべき課題として受け止めている様子だったという。

 「1年より2年、2年より3年という感じで、創作活動に対してどんどん真剣味が増していった。自分の将来を明確にイメージできるようになっていったのだと思う」

 笠間さんは当時からアニメーターになる夢を思い描いていた。3年時に取り組む卒業制作のテーマをアニメーションにしたのもそのためだ。ただ、実際に作るとなると細かな作画技術が求められ、制作に要する時間や労力も膨大となる。授業でアニメーションの歴史や絵を動かす基本的な方法を学んでいたとはいえ、笠間さんにとっては大きな挑戦だった。

 「いいかげんな気持ちで始めると、頓挫するよ」

 「1秒間の動画を作るだけでもどれだけ大変か」

 卒業制作を指導した非常勤講師岩永孝常さん(52)は笠間さんと何度も向かい合い、覚悟のほどを尋ねた。それでも、笠間さんの気持ちが揺らぐことはなかった。

 動きをなめらかにしたり、緩急をつけたりするには、どんな風に絵と絵をつなげばいいか。笠間さんは岩永さんらのアドバイスを受けながら、キャラクターの歩かせ方や場面転換について半年かけて熱心に研究した。

■最後まで努力「ほめてあげたい」

 夢に向かって歩み始めたばかりの高校生。思い通りに作業が進まず、落ち込むことも多かったという。そんな産みの苦しみを経て、自作のキャラクター「パットン」を主人公にした2分弱のアニメーションを完成させた。

 岩永さんは、笠間さんがその時、「やったー!終わったー!」と感情をあふれさせた姿を覚えている。

 笠間さんが卒業制作で手掛けた作品は、同高への進学を希望する中学生向けのPR動画に採用されるなど高い評価を受けた。

 岩永さんは「困難に直面してもあきらめず、自分のやりたいことを最後まで成し遂げるのは、本当に難しいこと。何よりもそのことを褒めてあげたかった」と振り返る。

 堀江さんと岩永さんが思い返すのは、いつもにこやかで、おしゃべり好きだった笠間さんの姿。京アニ事件が起きた後、ゆかりの品が学内に残っていないか探したところ、遠足や修学旅行中に撮影した30枚の写真データが見つかった。

 どれを見ても、生徒たちのにぎやかな輪の中心に、屈託のない笠間さんの笑顔があった。

 2人が笠間さんと最後に言葉を交わしたのは、高校卒業から4年が過ぎた19年3月。

 「京アニに就職します」

 久々に職員室を訪れた教え子の表情は、少し大人びて、頼もしく見えた。

 「アニメーターになるため、この子は一体、どれだけの努力を重ねたのだろう。そう考えると、胸が熱くなった」

 堀江さんは2年前に交わしたやりとりを振り返り、こう続けた。「彼女は努力すること、夢を追うことの素晴らしさを教えてくれた。その思いをしっかりと引き継いでいきたい」

(岸本鉄平)

※京アニ事件で命を奪われたのは、アニメの力を信じ、世界中のファンに夢と希望を届けた人たちでした。企画「エンドロールの輝き」では、クリエーターとして生きた一人一人の足跡をたどります。

 

笠間結花さん(大阪成蹊大提供)
笠間さんを指導した堀江さんは「彼女がそうだったように、『笠間文庫』も生徒が自然と集まってくる場所になれば」と話す
高校時代に撮影された笠間さんの写真を見ながら、当時を振り返る岩永さん。「いつもにこやかで、友人たちの輪の中心にいた」と語る

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