銃規制のジレンマ、根底に「銃持つ権利」の建国精神<アメリカのつくられ方、そして今>

 「銃暴力がまん延している。国家の恥だ」と4月に演説したバイデン大統領。銃乱射事件が後を絶たず、何の解決策もない状況のアメリカを「病気」だと周りのアメリカ人も吐き捨てるように言う。
 「銃があるから危ない」とは考えず「銃を多く所持する程、安全が守られる」と主張する銃擁護派が、銃規制に歯止めをかけている。そして強く主張するのは合衆国憲法修正第2条の銃を持つ権利である。1776年にイギリスからの独立を勝ち取ったのは、民兵が武器を持って勇敢に戦った結果であり、さらに開拓時代には銃で荒野の外敵と戦ってきたという、これら建国の精神が銃擁護派の骨の髄まで染み込んでいる。
 銃は体の一部であり自由、独立、平等を表す象徴だと強調し、開拓時代の領土拡大は神から与えられた使命であったとする、マニフェスト・デスティニー(明白の運命)を固く信じている。そんなキリスト教右派の人たちは、中西部から南東部のバイブルベルトと呼ばれる地域に多く住み、その勢力は米全体の25%に及ぶと言われる。
 独立戦争後、銃を持つ権利が憲法に盛り込まれたのは245年前。開拓は約200年前の話であり、日本では江戸時代にあたる。米国の憲法修正第2条が今の時代に適用されていること自体に違和感を覚える。当時と現代とでは、もろもろの事情が大きく異なるにもかかわらず、依然として時代錯誤的な憲法の施行を続けているのに首をかしげたくなる。
 江戸時代から2世紀もたっているのに、侍精神を維持するため刀を所持しているようなものである。第2条を吟味してみると、銃所持の権利は市民軍だけのためであり、普通の個人が武器を所有する権利があると解釈すべきでないと思うが。
 さらに厄介なことは、銃擁護派が連邦政府にコントロールされたくないとする対抗意識の存在だ。政府の圧政を防止するため、国民が政府に立ち向かう手段として銃の必要性を説き、銃を持つ権利は言論の自由と同じく基本的人権の一つだと主張する。また、銃を持たない状態だと肉体的に優位な者が往々にして暴力で支配する結果になるが、銃の所持で同等に立ち向かうことができ、銃は平等の調度品と考えられている。
 そしてバイブルベルト地域の白人の農民やブルーカラー層は、ライフルを使いこなせて初めて一人前の大人だという意識を持っている。子供の誕生日やクリスマスに子供用ライフルを贈り、子供たちは親の手ほどきを受けて射撃の練習をする。銃に対する信仰が幼少の頃から培われ、建国の精神が代々伝授されていくのである。
 (鈴木多美子バージニア通信員)

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