【松下茂典・大谷と松井、太平洋に虹を架けた二人(連載2)】全米を席けんしている二刀流エンゼルス・大谷翔平投手(27)とゴジラの愛称でニューヨークのファンに愛され続ける元ヤンキースの松井秀喜氏(47)はある最強伝説に導かれている。さらには米野球殿堂入りが確実視される元マリナーズのイチロー氏(47)、プロ野球界のレジェンド、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督(85)、王貞治ソフトバンク球団会長(81)も同じだという。それは――。
大成した野球選手の家族を取材すると、不思議なことを発見する。圧倒的に次男坊が多いのだ。
長嶋茂雄や王貞治から、イチローや松井秀喜に至るまで、スーパースターの成り立ちは、次男坊の歴史といっていい。
今回の主役である大谷翔平もまた、典型的な次男坊である。
母の加代子が、翔平の野球の出発点を語る。
「2歳になると、長男が使っていたちっちゃいグラブを左手にはめ、長男がやっていたようにボールを家のあちこちの壁にぶつけ、捕球して遊ぶようになりました」
今シーズン、投手・大谷のサーカスプレーともいえる鮮やかなフィールディングは、ここにルーツがあったのである。
「下の子は、上の子を徹底的に観察しますね。翔平の2歳上の姉が、買ってあげた一輪車に悪戦苦闘しているときでした。翔平のほうが先にマスターし、私に『見て、見て』と得意げに乗り回してみせたんです。姉が不在のとき、ちゃっかり拝借し、密かに練習したんです」
父の徹によると、姉と兄に対する接し方が180度違ったという。
「仲良しのあまりですが、姉とはしばしば取っ組み合いになり、パンチを繰り出したり、蹴りを入れたりして泣かせていましたが、兄とは一度もケンカをしませんでした。7歳上で勝ち目がなかったからでしょうね(笑い)」
翔平は長男に終始一目置いていたという。
「なにしろ足が速く、50メートルを5秒台で走りましたからね。翔平は悔しさのあまり、大きくなってからもチャレンジしましたが、6秒台は一回も切れませんでした」
あのイチローも、チチローによると、長男が持つ100メートル走の記録にコンマ1秒及ばず、スプリンターの道を断念したという。
球界の次男坊伝説はあまたあるが、もっとも生々しい逸話の持ち主は松井秀喜であろう。
秀喜が小学校に上がって間もないころだった。ある日、父の昌雄は秀喜が金属バットをぶんぶん振り回しているところに出くわした。
「秀喜が怒ったぞ!」
秀喜の4歳上の兄・利喜の友人たちが、しきりにはやし立てた。
その日は兄たちと野球をしたのだが、ライトオーバーの大飛球をファウルにされ、秀喜は頭に血が上ったのだった。
恐れをなした上級生たちは、利喜の部屋に逃げ込み、中から鍵を掛けた。
「入れろ!」
秀喜は何度も叫び、ドアを叩いたが、上級生は出てこない。すると、窓ガラスを素手で叩き割った。上級生たちが震え上がったのはいうまでもない。
一部始終を目撃した昌雄は、唸ったという。
「うーん、秀喜は将来、とんでもない大物になるかもしれんなあ…」 (文中敬称略)