東京五輪 ソフトボール女子 快勝 藤田豪快2ラン 佐世保育ちの二刀流 夢を与える選手に成長

 「自分が代表入りするなんて100年早い」。高校3年時、2008年北京五輪を見てそう感じていたという藤田倭(30)=ビックカメラ高崎=が、豪快な一発でチームを勝利に導いた。21日、東京五輪全体の開幕戦となったソフトボール女子1次リーグ。日本はオーストラリアに8-1の五回コールドで快勝した。「100年早い」と思った夏から13年、藤田はその代表の主力として五輪の舞台で躍動した。
 佐世保市立崎辺中時代から投手として活躍した。初心者も多い公立中のチームを引っ張り、佐世保市、県大会ともに3年間準優勝。九州大会も出場した。当時、指導した古立真仁教諭(48)=現・大村市立西大村中教諭=が振り返る。「手首が非常に強くてスピードがあった。自分も野球経験者だけど、打席に立つのが嫌なくらい怖かった」
 2年時に県内であったソフトボール教室に「現日本代表の宇津木麗華監督が来ていた」(古立教諭)。多くの参加者の中から「この子の指導者の方はどなたですか」と呼ばれて「すごいピッチャーになりますよ」と言われた。中学時代から大器の片りんをのぞかせていた。
 ただ、投打の「二刀流」として頭角を現してきたのには驚いた。「当時、打者としては速い球を思い切って振りにいけなかった。よっぽど頑張ったんだろうなと思う」。性格的に「元気で活発だけど、繊細なところがあった。いろんなことを追求するタイプだった」という少女は、自らの強い希望で進んだ佐賀女高、09年に入団した日本リーグ1部の太陽誘電を経て、日本代表のエース上野由岐子(38)=ビックカメラ高崎=と「二枚看板」と評されるまでになった。
 ソフトボールは08年北京大会以来、13年ぶりに五輪で復活した。試合後のインタビュー。藤田はかみしめるように言った。「ソフトボールは13年間、時が止まっていた。今、やっと動きだしたので、子どもたちに勇気だったり、ソフトボールの魅力を伝えていきたい。私たちの姿を見て、これからもソフトボールを諦めずに頑張ってほしい」。佐世保育ちの二刀流は今、次世代に夢を与えるアスリートになった。

◎夢の舞台 思い切り まずは「打」で見せる

 五輪のマークが描かれたグラウンド。そこに「立っているだけでも幸せだった」。2008年北京大会以来、13年ぶりに五輪で復活したソフトボール。DP(指名選手)として出場した藤田は、第2打席に豪快な2ランを放って日本の白星発進に貢献した。「夢をまずかなえられた。第1戦でホームランを打てて、いいスタートが切れた」。ヒロインはうれしそうに笑った。
 投打の二刀流として日本の主力を担う30歳。登板機会がなかったこの日のオーストラリア戦は「打」で見せた。3-1の四回無死1塁の場面。「何とか追加点がほしい」と真ん中高めに入ってきたボールを思い切り振り抜いた。「完全に行った」。高々と上がった打球は左翼頭上を大きく越えていった。
 今季は打撃面の持ち味であるスイング、ミート力がやや落ちていた。今回の本塁打は「自分をよく知る指導者2人のアドバイスがマッチしたおかげ」。宇津木監督はつきっきりでフォーム修正に尽力してくれた。昨年まで12年間プレーした太陽誘電の監督、山路コーチは「自分のスイングをしなさい」と奮起を促してくれた。ダイヤモンドを一周してベンチに戻った後、宇津木監督と笑顔で抱き合った。
 試合は8-1の五回コールドで快勝。自国開催五輪の開幕戦で、日本選手団全体にも弾みをつけた。でも、すでに気持ちは切り替えている。「きょうの出来はきょうでしかない。あした以降の自分と向き合って、しっかり自分の準備をして臨みたい」。夢舞台に立つだけじゃない。目指してきたのは、その先の頂点だから。

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