米軍占領下の長崎 ガス工場跡が射撃場に 原爆写真展 26日まで 市立図書館

終戦から約1カ月後、長崎港に入港した米艦船から撮影した写真について説明する松田部会長。AI技術などを用いてカラー化されている=長崎市立図書館

 長崎原爆投下後の街並みや市民の写真などを集めた「被爆76年 ナガサキ原爆写真展」が21日、長崎市興善町の市立図書館で始まった。写真約40点のうち、初公開は米国立公文書館所蔵など9点。このうち終戦から約3カ月後に撮影された写真からは、米軍占領下の長崎で、爆心地近くのガス工場跡地(大橋町)がライフル射撃場として使われていたことが読み取れる。
 長崎平和推進協会写真資料調査部会(松田斉部会長)などが主催。観覧無料で26日まで。
 ライフル射撃場の写真は昨年秋、関係者を通じて入手した。米海兵隊が1945年12月7日、西部瓦斯(がす)(現西部ガス)の大橋製造所跡地を撮影したもので、米軍車両や倒壊したガスタンクと共に、英語で「第二海兵師団ライフル射撃場」と記された看板が写る。
 松田部会長は「跡地が射撃場として使われていた事実は知られておらず、価値の高い写真」と評価する。
 また東京大大学院の渡邉英徳教授らが、人工知能(AI)を活用したり戦争体験者に聞き取りをしたりして、カラー化した写真も展示。このうち、同年9月19日に米艦船から長崎港を撮影した初公開写真では、九州各地にいた米国人捕虜らを救出、治療する米海軍の病院船が、出島岸壁に停泊している様子が分かる。
 写真の手前に星条旗が大きく写り込む構図について、松田部会長は「占領軍の征服者としての意識を感じる。当時の日米の力関係をよく表している」と解説した。

西部瓦斯大橋製造所跡の米軍射撃場を写した写真(米軍撮影、長崎平和推進協会写真資料調査部会提供)

© 株式会社長崎新聞社