「ゼロコロナ」の悲劇 緊急事態宣言はもう必要ない|木村盛世 毎日報道される新規感染者数にいったいどれほどの意味があるのか? 病気は新型コロナウイルスだけなのか? 客観的データとファクトで明らかにする新型コロナウイルスの真実。

毎日繰り返される「新規感染者数の報道」

新型コロナウイルス感染症が広がるなか、東京五輪の開催に関する世論の関心は高い。日本人の多くが東京五輪開催の決定権を持たないのだが、マスメディアだけでなく、道を歩いていても「五輪開催したほうがよいかどうか」といった会話が聞こえてくる。

5月22日に毎日新聞と社会調査研究センターが行った世論調査では、「中止すべきだ」と「再延期すべきだ」を合わせると60%以上だった。しかし一方で、東京五輪開催を求める声も強い。

本稿では、東京五輪開催に際し、何が必要なのかを論じてみたい。

まず、日本の新型コロナウイルス感染症の現状に関してまとめておこう。新型コロナウイルスは、2020年秋頃から日本に入ってきたといわれている。流行当初はわからないことばかりだったが、1年以上の付き合いによって明らかになってきたことが少なくない。

第一に、この新型コロナウイルスは、SARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)のような致死性の高いコロナウイルスではなく、通常の風邪ウイルスに近いものである。すなわち、新しいタイプの風邪のウイルスである。新しいウイルスなので、多くの人が免疫を持たないため、広がりやすい。

第二に、大半の人が無症状や軽い症状で済むが、高齢者が感染すると重症化しやすい。この傾向は、世界のどの都市においても当てはまる。言い換えれば、重症化の最大の危険因子は年齢ということになる。

厚生労働省が発表しているデータをみても、感染者(陽性者)が最も多いのは20代だが、死亡者が最も多い年代は80代である(図1参照)。

海外でのロックダウンや「死亡者が増えて棺が足りない」という報道を見ると、自分がかかったら命を落とすのではないか、と恐怖にかられる人も多いのではないか。実際、日本でも毎日のように繰り返される新規感染者数の報道に、不安になっている人も多いと推察する。

しかし、どれほど感染者数が多い国や地域であっても、いままで述べてきたエビデンスは変わらない。感染者数が増えればそれに比例して死亡者数も増えるが、人口対の死亡確率でみれば、多くの人にとって季節性インフルエンザか、通常の風邪のそれと同等である。

そして、多くのマスメディアが伝えない事実がある。日本はG7のなかでは、感染者数も死亡者数も極めて低く抑えている優等生国であることだ(グラフ1参照)。

“さざ波”で医療ひっ迫

三度目の緊急事態宣言が大都市を中心に発出されているが、そもそも緊急事態宣言は、新型コロナウイルスの重症者対応に医療が耐えられないから、すなわち医療ひっ迫が起こっているから出されたものである。

ワイドショーだけでなく、車中の政府広告でも、医療ひっ迫の状況が繰り返し放映されている。しかし、先進諸国に比して“さざ波”程度の感染者数で、なぜ医療がひっ迫するのだろうか。

流行の初期である2020年春にはイタリアが医療崩壊を起こすなど、欧米の新型コロナウイルスの重症化対応は深刻な状況に陥った。当初イギリスは、スウェーデンが選択した緩和戦略(高齢者の自主的行動制限以外は、通常の社会経済を回すやり方)を進めたが、一週間で方向転換し、ロックダウンなどの厳しい抑圧戦略に切り替えた。その理由は、重症者が多くなりすぎて医療が耐えられないという理由からだった。

その後、欧米は大きな感染者の波を経験し、一時期は日本の感染者数の100倍を超えるまでになった。しかし、そうした欧米諸国においても、流行初期以降は医療崩壊を起こしていない。それなのになぜ、日本の医療がひっ迫するのか? それは、日本が医療総動員になっていないからだ。

日本は160万床という世界で有数の病床数を持っている。だが、コロナ病床数は3万4116床と、他のG7諸国と比べても極端に少ない(グラフ2参照)。

しかも、人口対の医療従事者の数はそれほど多くない。そのなかで新型コロナウイルス対応をしている医療機関は、全体の5%以下である。言い換えれば、95%の医療機関が新型コロナウイルスに感染した患者を受け入れていないということである。

その大きな原因は、日本の医療体制の問題にある。イギリスなどヨーロッパの多くの病院は公営である。しかし日本は80%が民間病院であり、加えて現在の医療法により、国や地方自治体の権限が及ぶ医療機関はごくわずかである。それゆえに、国が医療機関に新型コロナ患者受け入れを強要することは難しい。

本当にエボラ出血熱と同類なのか?

また、現在の感染症に関する法律のなかで、新型コロナウイルスは、エボラ出血熱などの感染症法上一類相当という極めて病原性の高い感染症として扱われているため、医療機関の体制装備などに労力を要する。新型コロナウイルス患者を受け入れた医療機関の90%が赤字になっている。

しかも、ひとたび院内感染などが起こればメディアから叩かれるなど、社会的損失も大きい。その結果として、医療者の良心などで、新型コロナウイルス患者受け入れを決めたごくわずかの医療機関に大きな負担がかかり、医療がひっ迫しているという構図が事の真相である。

これに関しては、拙書『新型コロナ、本当のところどれだけ問題なのか』(飛鳥新社)に詳述したので参照されたい。

今後の感染状況はどうなっていくのか

では、今後の感染状況はどうなっていくのか。正直、明確な答えはない。

繰り返すが、新型コロナウイルスは新しいタイプの風邪である。風邪であることは、季節性があるということだ。これまでの知見から、感染は温度が上がること、湿度が上がることによって減少することがわかっている。

また、RNAウイルスであるため変異しやすいが、現在までの知見では、変異株が変異前のウイルスと比して致死性が高いことは確認されていない。しかし、ウイルスは自分たちのテリトリーを拡大するために変異するため、変異すれば感染力は高まるのが一般的である。

これらの条件を考慮すると、今後の感染者数は気温や湿度、変異株など、コントロールできないところで決まってくる面が大きい。

感染者数より重症者数を指標とすべき

本論の東京オリンピック・パラリンピック開催について述べる。

ワクチン接種は極めて重要であり、菅内閣の取り組みは高く評価する。高齢者3600万人のワクチン接種が進むことにより、高齢者の感染や重症化を劇的に減らせれば、新型コロナウイルス感染者の全員を入院させるような極端な対応をしない限り、医療はひっ迫しなくなり、緊急事態宣言もいらなくなる。

ただし、前述の図1からわかるように、高齢者には感染者が比較的少なく、高齢者のワクチン接種も進んでいるが、感染者数は数字的にはなかなか下がらない。それもあって、感染者数から重症者数へ、重視すべき指標を変える必要がある。

また、感染者数の推移は温度、湿度、変異株などの人為的に制御できる因子以外によるため、今後は感染者数が増えてきた場合に備えて準備をしておかなければならない。特に東京を中心に感染者数が増え、東京地区での医療キャパシティでは対応できなくなった場合の想定はしておく必要がある。
具体的にはどうしたらよいか。それは、各地に派遣できる医療従事者の遊軍部隊をつくることと、地域を跨いだ広域搬送である。

新型コロナウイルス流行の初期に、イタリアでは高齢者の重症者が医療キャパシティを越えるほど増加し医療崩壊を起こしたが、増えすぎた重症者を引き受けたのはドイツだった。

重症者を搬送するのは大変だが、医療現場からすると来てもらったほうが対応しやすい面もある。医療従事者が医療機関からいなくなれば、現地医療機関の対応能力が低下してしまうし、勝手知ったる場所で治療にあたるほうが、効率的な医療提供ができるからである。

重症者対応には呼吸器などの高度救急医療が必要なため、効率的な医療提供はその患者の予後に強く影響する。あまり知られていないが、自衛隊ヘリはICUを搭載しているものもあり、ドクターヘリの数より多い。また、首相が直接指揮できるのは自衛隊ヘリであることから、これを使う以外ない。 人を運ぶことは容易ではない。DMAT(災害派遣医療チーム)を除く通常の医療従事者がその搬送を簡単に行えるのは、ドラマだけである。ましてや、重症者の搬送は訓練を受けた者でなければ、簡単に行えるものではない。 こうした広域搬送は、国交省、防衛省が主体となって行わないとできない。たとえ今回必要なかったとしても、今後新たな感染症が発生した時に、必ず考慮しなければならない国家事業である。

報じられない五輪開催のメリット

政府には、五輪を開くこと、開かないことに対して、そのメリットとデメリットを整理して国民に伝えてほしい。五輪開催のデメリット(感染が広がる、医療がひっ迫するなど)に関しては報道で取り上げられることが多いが、開催することのメリットに関しては伝わってこない。

たとえば、開催しないと数兆円規模の負担が国民にのしかかるのであれば、政府はその事実を伝えてほしい。IOC(国際オリンピック委員会)が開催しないことで日本を訴えるとの声も聞かれるが、新型コロナウイルスという不可抗力のなかで、はたして訴えることができるのか、国際弁護士などの見解も含めて国民は知りたいのではないか。

独立行政法人経済産業研究所(RIETI)の関沢洋一上席研究員が興味深い研究結果を発表した。RIETIは、2020年10月から三度にわたって、東京五輪に関するインターネットでのアンケート調査を行っている。

下の質問内容と結果(グラフ3)を御覧いただきたい。 〈分析結果を簡略化して述べると以下の通りである。

・延期(対開催)と中止(対開催)のいずれの予想でも男女間では明確な差がない。
・65歳以上に比べて、30~65歳未満は、中止と予想する割合が少ない。
・預貯金額が1000万円以上の人々に比べて預貯金額が少ない人々は延期されると予想する割合が大きい。世帯収入の違いによる明確な差はない。
・TVよりもインターネット検索やニュース系アプリを新型コロナウイルスの情報源として最重視する人々の方が中止と予想する割合が大きい。
・新型コロナウイルスへの恐怖がある人々は、延期や中止と予想する割合が大きい。
・東京都や首都圏に住む人々に比べて、他の地域の居住者は、延期や中止と予想する割合が小さい傾向がある(例外は近畿、北陸、北海道)〉 (関沢洋一氏「どのような人々が東京オリンピックが2021年夏に開催されないと予想しているか?」より)

考察のなかで、関沢氏は以下のように述べている。 「印象論かもしれないが、国・地方公共団体・マスメディアは、これまで新型コロナウイルスが恐ろしいものであるという説明を国民に対してすることが多かったように思う。このことは、新型コロナウイルスへの恐怖心の高まりを通じて、人々が感染防止に向けた行動を行う誘因になったかもしれないが、同時に、東京五輪に対する人々の悲観的な予想につながったように見える。

過去の研究によれば、一般的信頼度は安定的なもので、こちらは簡単には変わらないとされる。東京五輪を円滑に開催するためには、多くの人々が抱く新型コロナウイルスへの恐怖心を和らげる何らかの対応が今後必要かもしれない」

この結語は極めて重要なことを示唆している。すなわち、五輪開催には新型コロナウイルスに対する不安を取り除くことが重要だということだ。この意見に、筆者は全く同感である。長引く自粛により、「コロナ鬱」という言葉も聞かれるほど、人の心は疲弊している。

「病気は新型コロナしかない」

特に昨今のワイドショーなどでは毎日、新型コロナウイルス感染症の感染者数が繰り返し報道され、その増減に一喜一憂している人も多いのではなかろうか。また、変異株に関しても、20代の若い世代が死亡したことに関して大きく取り上げられる。まさに、「病気は新型コロナしかない」といわんばかりだ。

しかし客観的に見れば、日本では年間130万人以上が死亡しており、季節性インフルエンザでは、関連死を含めると1万人程度の死亡者数がある。

新型コロナウイルスをゼロに近づける(ゼロコロナ)というのが、現在の厚生労働省、分科会、日本医師会、立憲民主党の方向性である。

たとえば、日本医師会がめざす東京都の感染者数1日100人以下というのは、13万人のうち1人しか風邪にかかってはいけないということと同義である。このような指標は無茶である。

先日、小学五年生が持久走の際、マスクをつけていて死亡するという痛ましい事件が起きた。流行当初から、WHOは運動時のマスク着用を禁止している。新型コロナウイルス感染症を抑えることばかりに目を奪われると、新型コロナウイルス感染症以上の悲劇が起こることになってしまう。

新型コロナの感染者だけを低く抑えればすべてが幸せになる、という幻影は極めて危険である。人の動きを止め続ければ、新型コロナウイルスの感染者数はゼロに近づいてゆくかもしれないが、その代償として、人の幸福、社会活動をすべて犠牲にしなければならない。

子供たちへの将来的影響は計り知れない

こうした状況下で、大きな問題の一つが子供たちの学びの場が失われるということだと思う。子供は人との交流を通じてその社会性を獲得する。マスクをして表情を読めない、人と直接触れ合えないという極めて異常な状況下で育った子供たちへの将来的影響は計り知れない。

先日、精神科医の和田秀樹氏とテレビ番組でご一緒したが、「笑うことは免疫力を上げるうえで重要」とおっしゃっていた。もっともな意見である。

新型コロナウイルスが怖いと思っている人たちに対して、怖くないといっても理解してもらうのは難しい。そうであれば、現在わかっていることを、データを基に政府は国民にもっと強く発信する必要があるのではないか。

国民の不安が少しでも和らぎ、東京五輪が開催されたら、「コロナ鬱状態」の社会が救われるかもしれない。(初出:月刊『Hanada』2021年8月号)

木村盛世

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