57年前、米軍占領下の沖縄から上京した高校生が見た東京五輪

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豊平朝安さんが撮影した1964年の東京五輪開会式

 57年前、国立競技場の観客席から見上げた空は真っ青だった。「おおっという気持ち。ただただ感激していた」。沖縄県立那覇高校2年生だった元浦添市議の豊平朝安さん(73)は、自衛隊機が空に描いた五輪マークを夢見心地で見つめていた。(浦添西原担当・具志堅学)

 豊平さんは、1964年10月10日の東京五輪開会式に出席。修学旅行中だった。「日本の土を踏み、東京を見ただけでうれしかったのに、国立競技場のスタンドにも座れて胸が弾んだ」「競技場にはためく世界各国の旗は美しかった。世界は一つだという実感が胸に迫ってきた」

 南日本新聞(鹿児島市)は翌11日、豊平さんの喜びを顔写真入りで伝えた。同紙によると那覇のほか石川、コザ、前原、中央の各高校から18人が抽選で選ばれ、開会式に招待された。

 競技場には大勢の観衆が詰め掛けており「選手団入場や聖火台への点火、選手宣誓など感動して鳥肌が立つシーンが何度もあった」と振り返る。

 沖縄から海路で鹿児島入りし、大阪、東京を巡る約2週間の旅だった。大阪-東京間は1日に開業したばかりの新幹線に乗車した。

 「速くてきれい。乗り心地は汽車とは段違い。街の広さやビルの大きさも含めスケールの違いに圧倒された」。戦後復興の象徴とされた五輪。高度成長期の本土と、米軍施政下だった沖縄の格差を実感したという。

 今月23日に開幕する2度目の東京五輪は、国民がこぞって祝福したあの年と大きく様変わりした、と感じている。

 コロナ禍の収束まで延期するべきだったとして「選手を隔離して十分な調整が難しいまま競技をさせるのか。実力が発揮できるのだろうか」と疑問を呈す。巨額な投資が子や孫の世代に与える影響も気掛かりだ。

 一方で「ぜひメダルを取って子どもたちに夢を与えてほしい」と県勢や日本勢の活躍を強く願う。「今回の開会式は、複雑な気持ちでテレビを見ることになりそうだ」と胸の内を明かした。

開業したばかりの新幹線に乗った豊平さん(後列左から2人目)=1964年(提供)
1964年の東京五輪開会式を見た感激を話す豊平朝安さん=19日、浦添市内