バレー藤井直伸、見失った“らしさ”を取り戻したキーパーソンの自信「他の人にはない使命感を…」

バレーボール男子日本代表の司令塔・藤井直伸。日本のコート中央からの攻撃を激変させ、代表でのポジションをつかんだ男が、ついに東京五輪にたどり着いた。キーパーソンの一人として注目を集めるセッターは、決して順風満帆な道のりで現在に至ったわけではない。一度失った“らしさ”を取り戻し、そこに新たなプラスアルファを植え付けられたきっかけとは。

(文=米虫紀子、写真=Getty Images)

運命が変わった2017年。日本の印象を覆すプレーを披露

バレーボール男子日本代表のセッター藤井直伸の運命が変わったのは、2017年。25歳の時だった。

藤井は2016-17シーズンのVリーグで東レアローズの正セッターとして優勝に貢献した。ミドルブロッカーの李博や富松崇彰の速攻を大胆に使って相手を翻弄(ほんろう)するトスワークで、チームを勝利に導き、その年、初めて日本代表に選出された。

中垣内祐一監督とフランス出身のフィリップ・ブランコーチの新体制のもと、2017年にスタートした日本代表が追求したのは、コート真ん中のゾーンを軸とした攻撃展開。藤井の持ち味と合致した。

日本のミドルブロッカーは身長2m前後で、藤井とともに代表に選出された李は193cm。一方、海外のミドルブロッカーは2m超えが当たり前で、210cmを超える選手も珍しくない。そんな相手に対してクイックを使うのは、「かなり勇気がいりました」と藤井は苦笑していたが、自分のスタイルは曲げなかった。サーブレシーブやディグがネットから離れ乱れた場面でも、東レの時と同じようにクイックを使い、相手は意表を突かれた。日本はサイド攻撃一辺倒になるという、海外チームが持っていた日本の印象を覆した。

それまでミドルブロッカーの得点力不足は日本代表の大きな課題だった。ミドルの攻撃が機能しないために、サイドに攻撃が偏り、分厚いブロックの壁に阻まれるという展開になっていた。しかし藤井の加入により、ミドルブロッカーの得点力がアップ。相手はミドルの攻撃をマークせざるを得なくなり、その結果、サイドからの攻撃も決まりやすくなるという好循環が生まれ、藤井は日本代表に定着した。

「自分らしさ」を見失い、苦しんだ数年間

それから4年。藤井は、東京五輪に出場する12人のメンバーに選出された。

「自分はクイック、パイプ(コート中央部分からのバックアタック)といった真ん中を中心とした攻撃を武器にしている。チームのやりたいことが、たまたま僕が得意としていること、目指していることとマッチしていたことが、選んでいただけた大きな要因かなと思っています」と語った。

ただ2017年に代表入りして以降、順風満帆だったわけではない。

2019年2月には、試合中のアクシデントで左手の中指を骨折した。セッターの指の感覚は非常に繊細なもの。ケガが治っても、なかなか元の感覚を取り戻せず苦しんだ。

「それまでのセッターとしての感触にどうしても戻れなくて。左手のほうがボールが入らない感覚になって、ハンドリングのバランスが悪くなってしまっていた。自分の中でそれを言い訳にしていた部分もありました」

それでも、今の体と向き合い、新たな感覚を受け入れて前に進んできた。

2019年のFIVBワールドカップでは、もう一人のセッター・関田誠大が先発出場する試合が多かったが、藤井、関田、どちらがコートに入っても、クイックやパイプを軸とする日本の攻撃が機能し、日本は4位と躍進した。

しかし2019-20シーズンのVリーグで、藤井は「自分らしさ」を見失い、行き詰まった。

Vリーグでは、少々返球が乱れてもアタックライン付近から大胆にクイックを使うというシーンが、他のチームのセッターにもよく見られるようになり、ミドルを軸とした攻撃はスタンダードになっていた。ある意味、藤井がスタンダードになったといってもいい。

だが一方で、先駆者である藤井のトスは研究され、東レのミドルブロッカーは徹底的に相手にマークされた。ミドルにマークが付いた分、ブロックが手薄になったサイドから攻めるが、サイドからの攻撃も思うように決まらず、東レは6位に沈んだ。

石川祐希との課題を解決。「祐希のことを研究した。以上です」

クイックが来ると相手がわかっていても、止められない。それが本来の藤井の姿だったが、そのシーズンはクイックに上げることを避けていた。シーズン最終戦の後、こう語った。

「僕がどういうセッターか、相手もわかっているので、意図的にミドルを減らしていた部分もあった。でもやっぱり、自分の武器というものを一番に考えなきゃいけなかった。“自分らしさ”を忘れちゃいけないということを、本当に感じたシーズンでした。マークが来ても決まれば1点だし、ノーマークでも決まらなければ1点にならないわけですから。トスワークの深さを感じました」

と同時に、“自分らしさ”にプラスアルファが必要なこともわかっていた。

「縦のクイック(ネットから離れた場所から上げるクイック)も、もうスタンダードになってきていると思うし、クイックとパイプは今のバレーのメインになっている。みんながそれを武器にしだしたら、僕は……。他の精度という面では負けている感じがするので、その精度をもっと上げないと戦えない。東レでも、代表でも。今までは精度がよくなくてもスパイカーがカバーしてくれていて、正直、『決まったからいい』という甘えがあった。そういう甘えをなくさないと」

そこから課題として意識したのは「両サイドへのトスの、ファーストテンポでの正確性」。特にレフトへのトスの精度だった。代表では以前、エースの石川祐希とのコンビが合わず、試合中、石川がいらだちを見せる場面もあった。

東京五輪に向けて、藤井はその課題に正面から向き合った。

「祐希のことを研究した。以上です」と少し照れくさそうに振り返る。

「これまでのスパイクの映像を見たり、今まで以上に話したり。やっぱり一番チームの軸になる選手だと思っているので、そことのコンビネーションやコミュニケーションは、非常に大事ですから」

以前より少しスピードを上げるなど、石川が打ちやすいトスを突き詰めた。

どこからでも自信を持って攻撃できる準備は整った

今年5月末から約1カ月間にわたって行われたネーションズリーグでは、その石川とのコンビがピタリとはまっていた。

「いざ試合でやってみて決まるというのが、やっぱりお互いにすごく自信になるし、それで信頼していけるというのがすごくある。今回、試合で結果を残せたことが一番お互いにとってよかったのかなと思います」

藤井が代表入りしたばかりの頃、理想のトス配分について聞いたことがある。もちろん相手チームや、その時コートに入っている選手の特徴によって配分は変わるという前提で、藤井はこう答えた。

「真ん中のミドルブロッカーとパイプが4割、オポジット(ライト)が4割、レフトが2割。できるだけミドルとオポジットで点数を取りたい。アウトサイドはサーブレシーブとか、いろいろ負担がかかるので」

東京五輪を目前に控えた今年7月、その割合に変化はあるかと聞くと、藤井は言った。

「イメージとしては、やっぱり真ん中は中心ですが、両サイドの配分は同じくらいかな、という気はします」

レフトへの上げやすさや、自身の中での重要性は「当時に比べれば格段に増した」と言う。

どこからでも、自信を持って攻撃できる準備はできた。

「以前よりも一人一人のスキルも上がっているし、いろんな選手が出てきた。本当に今、日本はどこからでも点数を取れるぐらい攻撃陣の層は厚いし、攻撃のバリエーションも増えてきているので、その中で、やっぱりセッターの選択がすごく大事になってくる」と気を引き締める。

背負う、被災した故郷・宮城県石巻市への思い

東京五輪イヤーで、東日本大震災から10年にあたる今年、藤井は記者会見のたびに、被災した故郷・宮城県石巻市への思いを聞かれてきた。

藤井は震災当時、順天堂大学の1年生で、故郷から離れて暮らしていたが、海岸近くにあった実家は被災し、家族は避難生活を余儀なくされた。父は一時仕事を失い、藤井はバレーボールを諦めることも考えたという。それでも、多くの人々に背中を押され、バレーを続け、そして今がある。

「当時は、バレーボールを諦めたこともあったんですけど、そんな時に、両親の後押しや、大学の関係者、地域の皆さんが支えてくださったから、まだバレーを続けることができていますし、こうして日の丸を背負ってバレーボールができていると思いますので、そういう人たちに感謝の思いを込めて戦いたい。その思いが一番大きなところです」

震災から10年目に開催される東京五輪については、こう表現した。

「運命、といいますか。この10年目という年にオリンピックが開催されて、その舞台に立って頑張ることで、地元の方々に伝えられる思いもあると思います。1年たっても、10年たっても、自分自身の思いは変わらないので、特別10年だからということはないんですけど、周りの方々から見ると、この10年という節目の年は、すごく意味がある年で、その年に東京五輪が開催される。僕自身も、やっぱりいろんな思いを背負いながら頑張っていかなきゃいけないなという、他の人にはない使命感というものを感じたりもします」

藤井は、取材などの場ではあまり言葉で闘志を表すタイプではないが、コートに立てば、誰よりも激しく喜びを表現し、周囲を鼓舞する熱い司令塔だ。

東京五輪の舞台では、さまざまな思いを背負いながらも、自分らしく。甲高い声を響かせて、コートを縦横無尽に走り回る。

<了>

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