「面倒見がいい努力家」 東京五輪サッカー 主将吉田 旧友、メダル信じ応援 長崎・仁田小同級生の一ノ瀬さん

英国滞在時に吉田(右)の自宅で一緒に料理する一ノ瀬さん=2015年、サウサンプトン

 東京五輪初戦のピッチで後輩たちを鼓舞し続けた。南アフリカに1-0で競り勝ったサッカー日本代表の主将、吉田麻也(32)。長崎市立仁田小時代の同級生で、今も親交が深い一ノ瀬功輔さん(32)=大阪府豊中市=は「いろんなことが難しい中で、主将としてしっかりやっていた。昔から面倒見がよかった。すごいなと思った」と声を弾ませた。
 不思議と人が集まってくる子どもだった。週末にはよく吉田の家に泊まり、バーベキューやキムチ鍋で盛り上がった。6年生の時、名古屋ジュニアユース入りが決まり、旅立つ前は男女8人くらいが1週間以上連泊した。仲良しグループの交流は、20年たった今も続いている。
 一ノ瀬さんの転職も“アシスト”した。福岡で建設関係の営業をしていたころ、辞めようと思って相談をした。「長期間、イギリスに遊びに行っていいかな」。吉田は妻と暮らしていたにもかかわらず、快諾してくれた。2015年4月から約2カ月、サウサンプトンで一緒に暮らした。
 試合を観戦したり、たくさんの日本代表選手とも会わせてもらった。「夢のような時間」を過ごしていたころ、吉田のところにスポーツ用品大手ミズノの担当者が仕事で訪れていた。雑談をしていると「今、九州でサッカーの専門部隊を探している」という話になった。一ノ瀬さんは小学校から大学までサッカーをしていた経験者。面接、テストを受けると、15年9月に採用された。「面倒くさいと言いながらも、いい方向に進むようにやってくれる。それも相手の負担にならないよう、恩に着せるわけでもない」
 人望の厚さの根底にあるのは「コミュニケーション力」だと一ノ瀬さんは言う。「年上にもガンガンいくし、年下も結構かわいがる」。J1名古屋時代は先輩の近くの席に座って積極的に話しかけた。オランダ、英国、イタリアと海外クラブを渡り歩く中で、その土地の言葉を学んで会話を大切にしてきた。「でも、麻也は努力してるところを人に見せない。自分から言わないのがすごい」
 3度目の五輪は、12年ロンドン大会と同じくオーバーエージで主将を務める。大会前、電話で意気込みを聞くと「日本開催だし、過去2回メダルを取れていないので、次こそはという思いが強い」と語ってくれた。面倒見がいい努力家が束ねるチーム。一ノ瀬さんは必ず実現すると信じている。


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