被災者に寄り添うとは|佐伯啓思 近代文明は、常に明るい未来を強迫観念的に展望し、過ぎ去った悲惨も犠牲となった死者も忘却へ押しやろうとしてきた。だが、一人一人のこころのうちから惨禍や死者の記憶を消すことはできない。

「復興」とは

昨年の10月に所用で福島へ行くことがあり、第一原発近く、いまだに帰宅困難地域になっているあたりを車で走った。窓ガラスが割れた家がそのままで放置されたりしている。

9月に双葉町にオープンしたばかりの東日本大震災・原子力災害伝承館も訪れた。周囲に何もない更地のなかにえらくすっきりとしたモダンなこの建物だけが建っており、少し場違いな何とも奇妙な感触である。収集した資料は膨大であり、展示は今後充実してゆくのであろう。それは10年前の記憶を館内に収め、この10年の復興を記録しようとする。

もちろん大震災の記憶をこの建物内に展示し、そのすさまじさを記録として留めるなどということは無理な話だ。だが、震災や原発事故の経験をひとつの建物の内部に押し込め、瓦礫も何もすべてとっぱらわれた空白の土地にモダンな記念館を建てるということの違和感は、致し方ないとはいえ、感じるほかない。これも「復興」のひとつの証なのである。やがて周辺にも次々と建物や家々が建つのであろう。

たしかにやむをえないのであろうと思う。津波に流された街をすべて更地にし、新たに街を作る。とてつもない災禍を記念館や資料館に記録として保存し、再び前へ向かって前進する。「復興」とはそういうものである。

戦後復興も、はるかに規模は大きかったが同じことであった。惨禍は歴史の記録に留めて残し、ひたすら経済復興に邁進した。それから70年以上、戦後の日本は、まぎれもない経済大国となり、それでもまだ便利、快適、物的な富の拡大を求めて経済成長を追求している。戦争の記憶もほとんど薄れてしまった。

東日本大震災の「災後」10年、表面的に見れば「復興」の形は同じである。復興資金をバラマキ、土地を更地に戻し、この空白の上に再び街を作り、経済を立て直す。東北復興の象徴が東京のオリンピックであったが、このとってつけた象徴もコロナで吹っ飛び、今度はコロナからの回復オリンピックなどといっているが、その開催も定かではない。

現実的にいえば、「復興」は必要であろうし、日常生活と経済の回復も不可欠であろう。多額の支援金が支払われ、仮設住宅が次々と建てられ、津波のあとを更地にして、すっかりきれいになった街を再建するという「復興」も不可欠であろう。

文明の進歩と災害の被害

しかし、東北を離れてこれをひとつの文明を襲った惨禍と見るならば、私にはやはり、かつて寺田寅彦が述べたことが気になる。関東大震災(1923年)や函館大火(1934年)、室戸台風の襲来(1934年)などの天変地異を目の当たりにした寺田は『天災と国防』(1934年)においてこういうことを書いていた。

寺田は、文明の進歩につれて災害の被害は大きくなる、というのだ。文明が進むにつれ人は自然を克服しようとする。そして自然の脅威を封じたつもりになる。しかし、突然、自然は檻を破った猛獣のごとくあばれだして人命を奪う。これは天災ではあるが、その惨禍をかくも巨大化するものはといえば、自然に反抗しようとする人間の細工である。

単細胞のような動物であれば、どこかが切断されても各片が生き残るが、複雑な有機体になると、どこか一片が切断されるとその全体が機能不全に陥る。高等動物は針一本でも命を失いかねない。こういう文明のなかにわれわれはいる、というのだ。

実際、寺田は、関東大震災について、地震そのものはそれほどのものでもなかった。惨禍を拡大したものは、火事であり、人々の心理的動揺であり、都市の機能不全であった、ということを書いている。つまり、巨大な都市化、経済生活の有機的な高度化(高度な分業体制)、それに、自然を管理できるとみなす人間の驕り、同時にまた予想しえない不確実性の襲来に際してパニックを起こす文明人の集団心理。こうしたものこそが災害をとてつもなく巨大化したのである。

関東大震災に際しても「天譴論」が唱えられた。天譴も、自然を征服できるとする文明人の驕りに向けられた言葉とみなせば、しごく当然のことである。いや、ここでわれわれは「天」という観念が決して死に絶えていないことを知るべきであろう。

「復興」ではなく「転換」を

東日本大震災から得た教訓の最大のものは、いうまでもなく、日本が巨大地震の巣の上に立脚した災害国家だということであった。1995年の阪神・淡路大震災でわれわれはそれを思い知らされ、また今後、大地震の襲来が確実視されている。「ウイズ・コロナ」ではないが「ウイズ・ディザスター」に生きるという自明の事項にわれわれは改めて直面することとなった。

そのことをまじめに受け取れば、科学技術の万能を信じ、経済成長と効率性を無条件に追求し、都市を膨らませ、飽食と快楽に身をやつす現代文明の突き進む方向性そのものに疑問を呈するのが当然というものであろう。「復興」ではなく「転換」が求められているのだ。

われわれがいかに文明を進歩させたとしても、その土台となる自然と大地が動けば、この文明など一瞬のうちに破壊されかねないという認識は、われわれの関心を霊性へ向けるはずである。

鈴木大拙は、平安末期から鎌倉にかけてのうち続く天変地異や疫病、戦乱のなかから日本人は初めて「霊性」に目覚めたというが、霊性とは、この現世における人知・人力の限界を痛感し、不条理にも失われ、慟哭のうちに諦念に達するほかない生命への愛惜から出てくるものである。一種の宗教意識といってもよいし、霊的な方向へ向けた死生観・自然観といってもよい。圧倒的に大きなものを前にした人間の卑小さの認識である。

そして大拙は、この「霊性」はあくまで「大地」にしっかりと根差したものだ、という。それは、宙に浮いた抽象的観念ではなく、天上のかなたにいる神でもない。経済成長や生活の便利やグローバルな利益によって「大地」を離れて浮遊するものではない。自然が猛威を振るおうと、大地が鳴動しようと、われわれは、その自然と大地によって生をはぐくまれているという事実は揺るがない。人の命を一瞬で奪う自然や大地とともに、それに寄り添いつつ生きるほかない。霊性は、人の作為を超えた自然や大地の働きに随順するところに、魂の安定を見ようとする。

死者とともにある

大地震のあと、東北の各地で不可思議な霊的現象が経験されたことを奥野修司『魂でもいいから、そばにいて』が報告している。通常は説明のつかない霊的な現象である。そして多くの場合、体験者は、この不可思議な霊的現象を通して、死者たちと再会でき、また死者たちが自分のすぐ近くにいることを知り、ようやくある安堵感をもつようである。

そういう事例を、私は非科学的だとか錯覚だとして否定する気にはならない。われわれは、死者と生者との共存、交流の仕方を失ってしまったのである。生者は、常に死者に対してある責任を持つ、というような観念も失ってしまった。生者は死者に見守られ、また生者は死者を記憶に留める、という当然の観念を見失ってしまった。そして、その生者も死者も含めて、われわれの霊性が自然と大地に包まれている、という意識である。

近代文明は、常に明るい未来を強迫観念的に展望し、過ぎ去った悲惨も犠牲となった死者も忘却へ押しやろうとしてきた。だが、一人一人のこころのうちから惨禍や死者の記憶を消すことはできない。この記憶が残る限り、いまここに生きるわれわれは死者とともにある、という意識をなくすこともできない。

10年たち、「復興」という掛け声によって「新しい街」が生まれても、被災者たちはこの記憶を失うことはあるまい。震災を直接経験していない者が被災者に寄り添うとは、想像のなかにおいてであれ、この記憶を共有することであろう。それは過ぎ去ったことではない。今後、いつどこに巨大災害がくるかはわからない。われわれのすべてが当事者なのである。(初出:月刊『Hanada』2021年4月号)

佐伯啓思

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