被爆画家・故池野清の油彩画「六月の牛」も見つかる 半世紀ぶり、長崎県美術館で公開へ

回顧展開幕直前に見つかった「六月の牛」を前に「不思議な気持ち」と話す福満学芸専門監=長崎市出島町、県美術館

 長崎原爆で被爆し47歳の若さで亡くなった長崎市の洋画家、池野清(1913~60年)の58年の油彩画で長年、所在不明だった「六月の牛」(縦90.8センチ、横116.8センチ)が同市で見つかった。作品十数点を所蔵し、8月6日から回顧展を開く県美術館(同市)が捜していることを2月、長崎新聞が報道。これを知った同市在住の個人所有者が先月同館に連絡し、回顧展で約半世紀ぶりに一般公開されることになった。
 同館の福満葉子学芸専門監が先月末に確認した。池野の所在不明作品が見つかるのは、1月の「足を洗う少年」以来。
 池野は同市生まれ。41年、中央の絵画公募展「独立美術展」会友に推挙。45年8月9日の長崎原爆で救援活動のため爆心地付近に入り被爆。戦後は原爆の後遺障害に苦しみながら制作を続けたが、60年に肝臓がんで死去した。友人で同市出身の作家、佐多稲子は池野の生涯をモデルに長編「樹影」(72年)を発表し、野間文芸賞を受賞した。
 同館によると、「六月の牛」は58年の独立展に出品したとみられる作品。池野の死後の61年に刊行された「池野清画集」にモノクロの作品写真が掲載されていた。池野の七回忌に合わせて66年、同市で開かれた遺作展に出品された後、行方が分からなくなっていた。
 同館は1月末、同様に行方を捜していた「足を洗う少年」を長崎大学病院(同市)で確認。これを報じた長崎新聞の記事で「六月の牛」の写真を一緒に掲載して情報を求めていた。所有者の父親が池野の友人で、同作は長年、自宅の部屋に飾られていたという。ほかに「石をかつぐ少年」(縦37.7センチ、横45.4センチ=58年)という油彩画も所有していた。
 「六月の牛」は、少年が牛を水浴びさせる様子を薄緑色を基調に描写。たばこのヤニの付着や経年劣化により状態が悪く、小さな穴も1カ所あり、同館で修復などの処置を急いでいる。福満学芸専門監は「諦めかけていたが展覧会直前のギリギリのタイミングで見つかり、不思議な気持ち」と話した。

 


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