「縄張り」による共同体がもたらすもの:東京オペラシティ アートギャラリー「加藤翼 縄張りと島」フォトレポート

集った参加者が構造物を引き起こす作品や演奏者同士がロープで結ばれたまま国歌を演奏する作品など、協働作業に関わる作品で知られる加藤翼。美術館では初となる個展「縄張りと島」が東京オペラシティ アートギャラリーにて9月20日まで開催中だ。

展示風景より

加藤翼は1984年生まれ。2007年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業後、2010年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻油画修了。人々の自発的な協力に注目した活動をもとに映像作品を中心に制作している。代表的な作品に、ロープで巨大な構造体を動かす「Pull and Raise」シリーズや、韓国と日本の間に位置する無人島を舞台とした作品《言葉が通じない》(2014)、4人のミュージシャンが互いをロープで縛った状態で国歌を演奏する《Woodstock 2017》(2017)などがある。

展示風景より《Underground Orchestra》(2017)

暗闇のなかのモニターと構造体

会場に入るとまず、照明の消えた夜更けの部屋に置かれたパソコンのような、薄暗い空間と眩しいモニターが目に飛び込んでくる。そのモニターの背後には私たち自身より大きい木の骨組みのような構造物が傾いて置かれていることに気づく。モニターの映像には大きな構造物が作られていく過程が、多くの一般の人々も巻き込みながら進められている様子を見ることができる。

井の頭公園が舞台のこのインスタレーション作品《ISEYA Calling》(2012)は、2012年改築のために解体された老舗焼き鳥屋「いせや公園店」を同店舗の木材を使いその間取りを可能な限り正確に復元することを求めた作品である。配置がわからなくなったときには、常連や店員の「いせや」の記憶を頼りながら組み上げられたというように、普段はただ店に居あわせるだけだった人々が、力を合わせて構造を組みあげるという仕事をともにしている姿が印象的だ。

展示風景より《ISEYA Calling》(2012)

大きな構造物の置かれた薄暗い空間は続き、左手には紙屑で編み込まれたであろう棒状のものがモニターに接続された展示に出会う。映像の中では4、5人の作業員が、被ったヘルメットにつけられたパイプで距離を保たされながら、モニター前と同じ紙屑の棒をこねるような作業を繰り返している。さらに手前に置かれたモニターには、告白や嘆きのような言葉が書かれた紙が言葉がわからなくなるほど細く切り刻まれていく様子が上映されている。筆者には、手書きで記された言葉と頭上のパイプによって保たれた作業員たちの空間が、普段は社会の中で抑圧されている声と、コロナ禍前の社会であれば直接は見えなかったであろう個々人の社会的な距離と対応しているように見えてくる。

《Superstring Secrets: Hong Kong》(2020)は、新型コロナウイルスの影響で参加予定だった香港での展覧会が延期となり、帰国もままならない中でスタートしたプロジェクトで、「あなたの秘密を告白してください」「あなたが属するグループ、国や街、職場、学校への本音を打ち明けてください」「誰かの秘密を暴露してください」といった質問に対する「秘密」を紙に書いて投函してもらい、それらを細く切り刻んだものでロープが編み上げられる過程がインスタレーションとして展示されている。

本展では他にも、香港からの帰国後、国内の新設競技場で集められた「秘密」による《Superstring Secrets: Tokyo》(2020) が展示されており、今後も場所や時代を変えながら継続していく予定だという。

展示風景より《Superstring Secrets: Hong Kong》(2020)

構造物が敷き詰められた広大な空間の終わりに近づくと、実験的なノイズ音楽のような音響が身体に伝わってくる。細く狭い空間には、行く手を阻むようにスクリーンが置かれている。それぞれのスクリーンには共通して演奏に関わる映像が上映されている。どの演奏者も互いの腕に縄を結びつけられたまま苦悶の表情でそれぞれの楽器を演奏しているが、映像さえ見なければ、どれも変則的なアドリブ演奏を行っているようにも聴こえる。

三味線、琴、太鼓の3人の演奏者が互いに縛られた状態で君が代の演奏を試みる《2679》(2019)では、お互いが「いつも通り」に演奏しようとするほど、他のメンバーの「いつも通り」の妨げになっていく。解説としてパンフレットを読むことでようやく「君が代」を演奏しているとわかるが、なんの曲を演奏しているかなど考えすらよぎらないほど、演奏者は四苦八苦した姿を見せている。

展示風景より《2679》(2019)

視点・スケールの切り替え

木片で組み上げられた大きな構造物と対照的に、辞書のような厚みを持った図録などの本と小さなフィギュア、ロープなどによって構成されているミニチュアも要所に展示されている。ミニチュアのいくつかは大きな構造物が縮小されているようにも見えるが、それら全てが一対一に対応している、というわけでもない。

展示には主に構造物、映像、写真、ミニチュアの作品が置かれているが、加藤はミニチュアについて「視点の切り替え」を意図していると語る。自分たちよりも大きな構造物に囲まれるなかで、見逃してしまいそうなミニチュアに目を向けることで、私たちは空間的なスケールの変化に身をおける。他にも来場者を文字通り覗き見る穴をモニターごしに見る展示があるなど、私たちの立場を揺らがせるような展示が散らされている。

展示風景より《20世紀全記録》(2021)

縄と共同体

本展で展示されている作品に限らず、加藤翼の作品はそのほとんどが共通して「共同体」というテーマを持っている。それは単に明らかな目的を共有した「組織」とは異なり、《ISEYA Calling》の参加者が近くに住んでいたり馴染みがある人々による集団や、《Superstring Secrets: Hong Kong》ではお互いのことを「共同体」だと認識しないアノニマスな関係、《Underground Orchestra》(2017)で登場するプレーリードッグたちのように、たまたまそこに居合わせたようなものである。しかし、加藤作品に頻繁に登場する「縄」というアイテムが、「居合わせた」だけの参加者にその共同体に属しているという感覚を明らかにさせているといえるだろう。縄を引き、構造物を引き上げる《The Lighthouses – 13 PROJECT》の映像の中に映り込んだ、男性の漏れ出すような笑顔が、筆者にはそれを象徴しているように見えた。

縄によって互いの力が伝わり、やがてその縄は自分たちを囲み「縄張り」すなわち共同体が形成される。それは私たちを制限するというより、むしろひとときの安息や小さな喜びを与えてくれる場所であり、私たちが大切にしている場所、家族、友人、恋人などと同じ質感を見出しうるはずだ。

展示風景より

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