松田聖子「小麦色のマーメイド」最後につぶやかれる “好きよ 嫌いよ” の謎  作詞活動50周年 松本隆の歌詞で多くのヒット曲を生み出した松田聖子の楽曲に迫る

松田聖子「小麦色のマーメイド」の不思議な感覚

私が初めて「小麦色のマーメイド」を聴いたのは、深夜ラジオ「オールナイトニッポン」の中だった。月曜深夜のパーソナリティーだった中島みゆきが、「またまたユーミンが作曲したようで…」等と曲紹介した後に掛けられたのだ。当時、新曲はラジオで初めて聴くことが多かった。

「赤いスイートピー」と「渚のバルコニー」の次は、果たしてどんな曲か? 高校1年だった当時の私は、ラジカセから流れる音に集中した。聞こえてきたのは、夏曲にしてはスローで抑揚に乏しいメロディー。しかも、「白いパラソル」のようにサビで盛り上がらないまま、静かに曲が終わった。私は違和感を覚えた。こんな地味な曲が聖子のシングルでいいのかと。

しかし、何回か聞くうちに、曲全体を包み込むスローなテンポと気だるいアレンジが耳に残り、聴いていて心地よくなってきた。たんたんと歌う聖子の声も甘く、まるで浮遊しているかのようだ。

この不思議な感覚は何だろう? そして、歌詞の中の彼女は、彼のことが “好き” なのか、それとも “嫌い” なのか?

テロップで流れた「裸足のマーメイド」の解釈

この曲の舞台は、デッキチェアーに寝そべってリンゴ酒が飲めるプール。おそらくリゾートホテルだろう。歌われているのは、真夏の昼下がりにプールサイドで彼と戯れる彼女の心だ。こうした情景が想像できるのも、松本隆の歌詞ならでは。イントロの旋律をはじめとする気だるいアレンジも、想像に一役買っている。

また、情景描写の後に印象的なマジックワードが登場するのもお決まりだ。この曲でも「常夏色」や、タイトルの一部でもある「裸足のマーメイド」という言葉が登場する。当時、これをめぐり「人魚なのに裸足なのはなぜ?」という問いがリスナーから多く寄せられ、異例にも松本隆本人の解釈が『ザ・ベストテン』で、聖子の歌のテロップとして流された。しかも、それが妙に具体的なのだ。全文は長いので、要約して紹介する。

―― ビートルズの「エイト・デイズ・ア・ウィーク」という曲は、一週間は七日なのに君を愛するには八日いるんだと行間で伝えている。裸足のマーメイドも同様に、『私は人魚のようにあなたの後を泳いでいきたいけど、現実には裸足の人間であって、愛に向かって飛び込めない』と伝えている。それが、最後の “好きよ” と “嫌いよ” の間の空白の揺れ動く女性心理に結び付く。鋭い人なら、アンデルセンの童話「人魚姫」の悲しいイメージを読み取ってもらえると思う――

これを聞き、私は意外に感じた。てっきりこの言葉は、“あなたを追いかけていきたい” 思いのメルヘンチックな比喩だと思っていたからだ。聖子自身も『ザ・ベストテン』で、アンデルセンの童話を例に取り、そう語っていた。

松本隆の解釈を素直に受け止めれば、彼女の心は揺れている。だから、デッキチェアーで寝ているだけで彼の後を追って飛び込めない。童話の人魚姫は声が出せない設定だから、彼とのコンタクトもウインクや投げキッスのみ。彼に水を掛けられても、すねて怒った顔しか見せない…。

松本隆が「マーメイド」に込めた“彼女の思い”

しかし、どう聴いても彼女の心は決している。彼のことが大好きなのだ。

それがわかるのが、まず曲の設定だ。彼女と彼は、リゾートホテルに2人で滞在し、ウインクや投げキッスをし合う間柄。デッキチェアーで寝るまでは、彼と一緒に泳いでいた可能性が高い。何しろ、「渚のバルコニー」とは異なり水着で裸足なのだ。だから、あなたについていきたい思いを「マーメイド」に込めた。

次に、2番の「嫌い あなたが大好きなの 嘘よ 本気よ」というフレーズ。ここで彼女は、照れ隠しに発した「嫌い、嘘よ」を訂正し、本心をさらけ出している。「嫌いよ」が嫌悪感でないことは状況的に明らかだ。

そして、サビのリフレインでは「あなたをつかまえて生きるの」とまで宣言している。メロディーが転調するのも、その場の感情から自分の人生の俯瞰へと視野が高まったことを示しているようだ。だから、全体的に気だるいなかで、この一節だけは聖子の声が切なく聴こえる。

「好きよ」の後に「嫌いよ」と言った理由

しかし、この解釈に従うと、ラストの「嫌いよ」がどうしても説明できない。彼への変わらぬ愛を自覚した彼女は、最後はためらわずに「好きよ」と本心をつぶやく。その後は「大好きよ」か「愛してる」がセオリーだ。なぜ「嫌いよ」なのか。

ここからは想像だが、彼女はデッキチェアーで彼を思ううちに、水を掛けられる前のようにまどろみ、眠ってしまったのではないか? 「好きよ」に続く適切な言葉を考えるうちに、気持ちよくて夢うつつ状態になり、直前に発した「嫌い」を口ずさんで眠りに落ちた。あるいは「愛してる」なんて言うのは野暮で暑苦しいと思ったのかもしれない。心が揺れているのではなく、彼に愛されている安心感と心地良さに包まれて発した一言だったのだ。浮遊するような聖子の歌唱も、まどろんで心が浮いているように聴こえる。愛の言葉を語るのに、夏の午後のプールサイドという舞台は気だるすぎた。

そう思えば、「好きよ」と「嫌いよ」の間の空白は、言葉が出ない状態だと解釈できる。「嫌いよ」に続くイントロの旋律も、彼女が船を漕ぎ始めたことを象徴しているようだ。そして何より、聖子の「嫌いよ」が絶品。感情の込め具合が絶妙で、眠りに落ちる直前にも聴こえれば、愛情表現にも聴こえる。

しかし、そんな深読みをしなくても、この曲は十分魅力的だし、聴いていて心地よい。「裸足のマーメイド」や「好きよ 嫌いよ」の謎なんて、どうでもいい。気持ちよければ、それでいいのだから。そう思って私も、この曲を聴き続けてきたのだから。きっと松本隆の狙いも、そこにあったに違いない。

カタリベ: 松林建

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