ポツダム宣言と満州からの帰国

 東京・新宿区の平和祈念展示資料館にひときわ目を引くワンピースがある。満州(現中国東北部)から日本に引き揚げる際に4歳の娘に着せようと、母親が亡くなった赤ん坊の布おむつで作った

▼1931年9月、関東軍が南満州鉄道の線路を爆破した。自作自演だったが、中国軍の犯行だとして戦闘を開始。満州事変は侵略と支配につながった

▼だが戦争末期になると関東軍は民間人を置き去りにして南方に転戦。満州に残った邦人が侵攻してきたソ連軍の略奪の標的になった

▼貨車に乗って避難中に乗り込んできたソ連兵にリュックサックを投げ捨てられたのは米メリーランド州在住の真栄城美枝子さん。昨年、ポール・邦昭・マルヤマ著の「満州奇跡の脱出」を読み、現地の製鉄会社に勤めていた著者の父、丸山邦雄らが邦人の帰国事業を計画し、実現に尽力したことを知った

▼餓えと病気で1日に約2500人が死んでいく満州の日本人の窮状を憂い、危険を顧みず日本に渡ってGHQに邦人引き揚げを直談判した丸山ら。真栄城さんは「丸山さんらの偉業がなければ私たち家族は黄泉の国に行っていたかもしれない」と話す

▼76年前のきょう、ポツダム宣言が発表された。満州の邦人送還が始まったのはその約1年後で、帰国を待つ間に命を落とした人も多い。国策に振り回され、失敗のツケを払わされるのはいつも国民だ。

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