まさかの落下

 もっと高く、もっとうまく、と向上心にあふれる人は上を向く。誰でも、いつでもそうだといいが、うつむいたり、つい靴の爪先をぼんやり見たりと、上を向くのもたやすくない▲とてつもない重圧も苦難もあるはずなのに、どうやって上を向くんだろう。体操の内村航平選手を見ていて、そう思ったことが何度もある。五輪の個人総合だけを挙げても、北京で銀メダル、ロンドンで金、リオデジャネイロでまたも金。いつしか「絶対王者」と呼ばれていた▲苦痛に顔をゆがめ、がっくり肩を落とす姿を初めて見たのは、リオの後、世界選手権を途中で棄権した時だった。跳馬で足首を痛め、国内外での連勝記録は「40」で止まる▲その後は肩の痛みに苦しんだ。ひたすら上を向いてきた人は、はい上がってやる、と宙をにらむ日々を過ごしたという。「プライドはいらない」と、万能のオールラウンダーから鉄棒一本に絞り、見事に復調する▲本人が言う「人生最大の目標」が、まさに手をすり抜けた瞬間だった。「まさかの落下」に言葉を失う。4度目の大会でなおも「金」が期待される、そんな希代の選手の東京五輪の舞台が終わった▲歯を食いしばり、高みを目指す姿が私たちに上を向かせ、後輩選手に上を向かせる。王者が残したものは実績だけでは測れない。(徹)

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