東京五輪バスケ 田中、母校の「24=西」背負い恩返し 寮生活支えた夫妻

田中大貴らが高校を卒業するときにもらった寄せ書きを手にほほ笑む後藤慶太さん=長崎市

 自国開催の五輪でユニホームナンバー「24」が躍動した。26日、1次リーグ初戦に臨んだバスケットボール男子日本代表主将の田中大貴(29)=A東京=は、母校の長崎県立長崎西高への思いを込めた「24=西」を背負ってチームに貢献した。高校時代に指導した後藤慶太さん(59)=現・県立長崎南高校長=、寮生活を支えた由美さん(56)夫妻は、息子のようにかわいがってきた「だいき」の姿を感激の面持ちで見詰めた。
 雲仙市立小浜中時代から、長崎西高の練習に参加することがあった。監督同士が旧知の間柄で、互いに「全国で勝つ」を目指していた。その縁で高校は親元を離れて長崎西へ進んだ。
 バスケット部の寮は夫妻が自宅近くに借り上げた一軒家。入寮当時は先輩4人が住んでいた。1人一部屋で広さは4畳半ほど。後藤家で朝食をとってから登校、朝練、授業、放課後の部活…。バスケットと勉強漬けの毎日を送った。
 食事は「1日4500キロカロリー取らせていた」という由美さんの手料理。3食では足りず、おにぎりと牛乳1リットルを持たせ、寮の冷蔵庫にはチーズなども常備してあった。「好き嫌いなく何でも食べてくれた」。入学当初、180センチなかった身長は、いつしか190センチを超えた。由美さんは「きれいな格好でいてほしい」と制服のアイロンがけもこだわった。ピシッとした姿で3年間、風邪もひかずに過ごした。
 慶太さんは常々「日本代表を目指せ」と言ってきた。田中が1年生の3月。韓国遠征した際、向こうのコーチに「韓国に置いていってくれ」と絶賛されてから世界を意識するようになった。2年生の夏、北京五輪決勝をテレビで一緒に見ていると、スペインのガード、リッキー・ルビオが田中の1歳上だった。「おまえもそれだけの素質があるぞ」。そう鼓舞していたが、まさか13年後の東京五輪で、2人がマッチアップするとは思いもしなかった。
 田中が高校卒業時、慶太さんへ贈った寄せ書きには「必ず日本代表入りして先生に恩返しがしたい」と記されている。「有言実行してくれてうれしい。でも、ここからが勝負。感動したと言ってもらえるような試合をしてほしいね」。画面越しではあるけれど、夫妻は“息子”の恩返しを温かく見守っていく。

 


© 株式会社長崎新聞社