【インタビュー】新潟県上越市の村山秀幸市長に自身の3期市政の締め括りなどを聞く

インタビューに答える上越市の村山秀幸市長

2021年11月で勇退する新潟県上越市の村山秀幸市長に、自身の3期12年の市政運営の締め括りや、新たな市長の誕生によって期待される上越市像のほか、旧高田市・旧直江津市合併から今年で50周年を迎えたことに対する思いなどについて聞いた。

まず、自身の市政運営について村山市長は、「私が市長になることで、市民の皆さんが『この街に住んで幸せだったな』と思ってもらえるように」ということを心に定め、出馬を決意したのが12年前であったという。それが「すこやかなまちづくり」であり、市民と地域が多様に関係し合いながら、行政への信頼感を維持しつつ、市民による地域づくりを進めるということだった。しかし、合併直後ということもあって当初は財政状況が厳しく、実際のところ、ただちに施設整備など大きなことに着手することは難しかったという。

14市町村が合併してから、毎年1,000億円の予算を組んできたが、貯金にあたる財政調整基金は合併直後には30億円前後。村山市長は「いざ災害があったらどうするのか。1,000億円の予算を見直し、自分たちの体力に合うまちづくりをしなければならないと強く感じた」という。「新潟県の職員時代、市町村課(当時は地方課)で財政を担当したとき、私は30歳を過ぎたばかりでしたが、おかげで県内の様々な自治体の財政状況を垣間見ることができました。『財政がしっかりするとしっかりした自治体になるのだな』と、経験を通じて肌で理解できたことは、間違いなく大きな財産になった」と、時折、県職員時代を懐かしんで笑顔を交えながら、厳しい財政と向き合って進めてきた市政運営を振り返った。

上越市役所

一方、昭和46年4月の旧高田市と旧直江津市の合併については、「昭和46年はちょうど私が県に入庁した年ですが、もう50年も経ったんだなと。我々団塊の世代がちょうど就職する時期で、経済は右肩上がり。働き手が沢山いて、高齢者が10パーセントくらいしかおらず、日本の勢いのある時代だった。その時に、旧高田市と旧直江津市で中核的な街を作る必要があると先人が考えられた。その結果、12万人くらいの街ができたわけだが、合併によって相当のインパクトがあったと思う」と当時の情景に思いを巡らせ、「昭和46年には、県内には113市町村あった。道路や港の公共投資、学校、福祉の施設整備をする必要があるということで、ソフトよりもハードを作っていく時代。団塊の世代は、全国で1学年に260万人から270万人いましたから、団塊の世代だけで3学年合わせて全国に800万人くらいいた計算になる。一度は出て行った若者が帰ってきて、いちばん元気のあった時というのが、50年前の上越市の姿だったでしょうね」と続けた。

また、14市町村が合併した平成の大合併については、「昭和46年から、今度は平成17年の合併までは35年くらいありますが、この間に社会は様変わりしました。子供は少ない、高齢化は進んでくるというまちの姿に直面し、今後どうしていくかが課題となった。『町村単独では難しい』というそれぞれの議論が出て、上越市は平成17年1月1日に、当時は全国最多と言われた14市町村の合併を選択しました。ただ、合併して分かったことの中で、一番の問題は間違いなく財政だった。面積は東京23区の1.5倍もあるのに、非常に人口密度が低く、それぞれにフルスペックの施設が沢山ありましたからね。今年で合併16年目となり、昨年で国による財政支援の経過措置の期間は終わりました」と振り返った。普通交付税の合併特例加算終了後の厳しい財政見通しを危惧し、合併市町村の実情を踏まえた交付税の算定方法となるよう繰り返し要望し、実現してきた経過を昨日のことのように鮮明に記憶している様子が伺える。

さらに、人口減少については、「たしかに大学などへの進学率も上がり、若い人たちが東京で学校の近くに住むなどして、一定の年代の人口が落ち込んでいます。ただ、それ以上に、上越市の場合は団塊の世代が圧倒的に多く、少子化も同時に進んでいるので、自然減の影響が大きい。毎年2,500人から2,600人の方が亡くなり、生まれてくる子供は1,300人を切っていますから、その差だけでも毎年1,300人くらい減ることになります。市内外の異動による社会減は毎年600人くらいなので、これから続く人口減少の大きな要因は自然減です。しかし、これから15年経って、我々団塊の世代がリタイアし、高齢者の数がどんどん減っていくので、自然動態もおのずと変わっていく。現在の上越市の人口は18万8,000人ですが、市の推計では、40年後には11万4,000人くらいになり、50年後には10万人前後になると予測しています。日本全体でも1億人を切る、そういう時代に入っていくのは残念ながら間違いない」と今後の地域社会の急激な変化を予想する。

今年11月には新たな市長が誕生する。新たな上越市像について、村山市長はこれから訪れる時代の輪郭が目の前に見えているのかのように、最後にこう語った。「これからのまちづくりは量から質へ転換されていく時代。ハードからソフトへという言葉と同じです。質を上げていくにはある種の潤いが必要で、文化や歴史を身近に感じながら暮らしていく生活、市民自身が『心地よい』と思えるまちづくりが、誰が市長を担ったとしても求められるでしょう。それは例えば、バリアフリーという言葉になるのかもしれません。高度成長の時代ではないので、所得が減って格差が大きいという社会の中で、5年、10年という先を見て、どんな年齢構成になり、若者がどんな人生を過ごしていくのか。そういうことに想像力を最大限に働かせて、まちづくりを考えていくのだと思います。市民全体が支えあって生きていく、上越市はそういう時代になるのではないでしょうか」。

高田城三重櫓

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