【山崎慎太郎コラム】「爆弾」を無事渡して…“10・19”当日はベンチ裏で死んでました

ロッテとのダブルヘッダーは異様な盛り上がりを見せた

【無心の内角攻戦(2)】1988年は4連覇を狙う西武が首位を走っていました。6月末には8ゲーム差つけられて近鉄が2位。ラルフ・ブライアントがシーズン途中でトレード加入し、ものすごいペースで打ち始めました。8月に7連勝し、9月15日時点で6差。そこから8連勝して9月末に1・5差に詰め寄ったんです。それくらいでやっと「ああ、こんな状態になっているのか」と実感したんですよ。

ウチは10月7日から最終戦の19日にかけて13日間で15連戦と過酷な日程でした。まだ西武が有利だったけど、7連勝して接近し、西武は10月16日に全日程を終了。近鉄は17日に阪急戦に阿波野秀幸さんが投げて敗れ、逆転優勝には残る川崎球場でのロッテ3連戦を全勝するしかない状況になりました。

もうね、毎日先発投手の間で爆弾を渡しているような状態(笑い)。勝って「よっしゃ! 次、頼む」って…。1差で迎えた18日が僕の先発だったんです。もう最悪っすよ(笑い)。前日17日の阪急戦(西宮)の試合中に僕と高柳出己さんは先乗りで川崎に向かったんです。今みたいにケータイなんかないし、新幹線の中で「試合どうやったんやろう」って言いながら…。東京駅に着いてから負けたことがわかって「ええ…」「阿波野さん、なんてことを…」って。翌18日、僕と高柳さんは宿舎から球場に入り、チームは大阪から東京入りし、移動バスの中ではみんなで歌を歌っていたらしいですわ(笑い)。

3連勝しかないからこの日に僕が負けたら終わり。とにかく翌19日に先発の高柳さんに“爆弾”を渡すことを考えていました。試合はブライアントが2発と打線爆発で12―2で勝ち、何とか13勝目をマーク。翌日のダブルヘッダーにバトンを渡すことができた。僕、投げ終わったその晩に宿舎で熱が出たんです。重圧が解けてホッとしたんですかね。

19日もしんどくて投手コーチの権藤博さんに「お前はベンチ入りはあかん」と言われて裏で死んでました(笑い)。気持ちが前に向いているから寝るに寝れないし、応援するしかできない、祈る気持ちしかないですよ。西武に0・5ゲーム差。優勝するにはダブルヘッダーを連勝するしかない。1つの引き分けもあかんし、僕はフラフラやし…。

第1試合は延長なしのルール。小野和義さんが中3日で先発し、1―3で迎えた8回に代打・村上隆行が同点二塁打。そして9回に代打・梨田昌孝さんが勝ち越しタイムリーですよ。「やったー」しかない。よし勝った、次もある。球場もベンチ裏も盛り上がりと熱量がすごかった。みんなが1つ。僕はプロ野球にそれから10年以上いることになるけど、あれほどの緊張感は味わったことがない。負けたら終わる、勝ったら優勝できる。エエおっさんが「うおおおお~」って一喜一憂しているって…あんなのないですよ。

☆やまさき・しんたろう 1966年5月19日生まれ。和歌山県新宮市出身。新宮高から84年のドラフト3位で近鉄入団。87年に一軍初登板初勝利。88年はローテ入りして13勝をマーク。10月18日のロッテ戦に勝利し「10・19」に望みをつないだ。翌89年も9勝してリーグ優勝に貢献。95年には開幕投手を務めて近鉄の実質エースとなり、10勝をマークした。98年にダイエーにFA移籍。広島、オリックスと渡り歩き、2002年を最後に引退した。その後は天理大学、天理高校の臨時コーチや少年野球の指導にあたり、スポーツ専門チャンネル「Jスポーツ」の解説も務めている。

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