東京五輪柔道 永瀬が「金」 けが乗り越え万感の涙 母へ最高のプレゼント

 2016年リオデジャネイロ五輪の銅を東京で金に変えた。27日、柔道男子81キロ級の永瀬貴規(27)=旭化成、長崎市出身=は優勝を決めた瞬間、あふれ出る涙をこらえきれなかった。「自分1人では絶対に取れなかった金メダル。たくさんの方に支えられて感謝の気持ちでいっぱい。やってきて良かった…」。永瀬の一番の理解者で、この日は画面越しに見守った母、小由利さんもまた、目頭を熱くした。
 1969年の世界選手権中量級で2位になった大叔父の平尾勝司さん(故人)の影響を受け、長崎大付属小1年から市内の養心会で柔道を始めた。三つ上の兄や周りの動きを見て覚えるのが得意な子だった。
 長崎大付属中時代は柔道部がなかったため、県内の強豪高校に頼み込んで出稽古に行った。仲間の保護者らと協力して送迎もした。「どうにかサポートしたかった」。小由利さんは可能な限り、全国各地での合宿や大会にも足を運び、息子を見守り続けた。
 卒業後は長崎日大高、筑波大に進んで着実に成長。若くして81キロ級の第一人者となり、5年前のリオ五輪で銅メダルを手にした。だが、永瀬にとっては「負け」のメダルだった。その後、17年の世界選手権の試合中に右膝の前十字靱帯(じんたい)を断裂。手術当日、病院に駆けつけた小由利さんは「待っている間、気が気じゃなかった。長く感じた」。無事に成功したものの、それからは苦しいリハビリ生活が待っていた。
 復帰後も思い通りに結果が出ない時期もあった。19年に復活を遂げ、20年に東京五輪の内定が出た後も、コロナ禍の影響でもどかしい日々が続いた。山あり谷ありの5年間-。多くの苦難を乗り越え、息子はまた一つ、たくましく成長した姿を見せてくれた。
 小由利さんにとっては、2男1女のかわいい末っ子。幼いころは夕食後、毛布に2人でくるまってカーペットに寝転び、テレビを見るのが日課だった。そんな次男からもらった最高のプレゼント。「苦しいときの方が多かったと思う。よく頑張った。おめでとう。お疲れさまと伝えたいです」

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