五輪憲章も前例も踏み越えた開会宣言 「記念する」への言い換えに込めた気配り

「祝い」を「記念する」と言葉を変えて開会を宣言される天皇陛下=7月23日夜、国立競技場

 天皇陛下は23日、東京五輪開会式で次のような開会宣言をされた。「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」。実はこの短い文言の中に、過去と異なる重大な変更点があった。「記念する」の部分は、前回の東京五輪の例に従えば「祝い」になるはずだったのだ。

 五輪の憲法とも言うべき五輪憲章では、開会宣言の文言は厳密に規定されている。それだけに変更は異例だが、今回の文言は大会組織委員会の原案を宮内庁内でも協議し、陛下の了承も得たものだった。あえて変更したその真意を探っていくと、「オリンピアード」という言葉の意味に行き着く。(共同通信=大木賢一)

 ▽政治利用の歴史

 五輪憲章は開会宣言について「開催地の国の国家元首」が行うとし、ごく短い文言を規定している。理由は、国家元首による自由な発言を許せば、五輪が政治的主張の舞台として利用される危険性が増えるからだ。

1964年の東京五輪で昭和天皇は「祝い」という言葉を使った=1964年10月10日、国立競技場

 最近では、2002年ソルトレークシティー五輪で、当時のブッシュ米大統領が規定を破った例がある。

 前年にあった米中枢同時テロを受けて「誇り高く、決意に満ちた、偉大な国を代表して」などと自国を称賛する言葉を付け加えた。当然ながらこの行為は当時、「五輪の政治利用だ」と批判を受けた。

 ▽変更の背景

 では、今回の変更も規定を破ったのかというと、そうでもなさそうだ。

 繰り返しになるが、今回の開会宣言は「オリンピアードを祝い」を「オリンピアードを記念する」と変更した。

 「祝い」の部分は、憲章の原文では「celebrating」となっている。この単語であれば「記念し」と日本語訳しても意味は通じる。憲章の勝手な変更とはならない体裁を整えている。

東京五輪の開会を宣言される天皇陛下=7月23日夜、国立競技場

 和訳の文言を少し変えただけとも言える。ただ、それにしても一体なぜこんな「細かい」変更をしたのだろう。

 ここで「オリンピアード」という言葉に注目したい。この言葉は五輪の大会そのものを指しているわけではなく、「大会を含めた4年という期間」を意味している。

 オリンピック研究が専門の舛本直文東京都立大客員教授によると、今回のオリンピアードの始まりは今年ではなく、本来のオリンピックイヤーである昨年2020年の1月1日。開会宣言にある「第32回オリンピアード」とは、20年1月から23年12月31日までの4年間を指し示している。

 20年1月と言えば、中国で未知のウイルス感染が報告され始めた時期の翌月。その後、感染は急速に世界中に広がり、全人類は1年半が経過した今も塗炭の苦しみの中にいる。第32回オリンピアードは、くしくも人類が直面した新型コロナウイルス禍とぴったり重なってしまっている。

 今後の2年半でコロナ禍がどうなるかは分からないが、現状ではとても、直近の1年半を祝う気にはなれない。そう考えれば憲章の規定に抵触しない範囲で「祝い」を「記念し」と変更したことも、ごく自然に思える。

 ▽オリンピアードの起源

 ところで、オリンピアードが「時間の単位」になった起源には、古代ギリシャの暦に基づき、古代オリンピックが4年に1度開かれていたことがあるという。近代になって復活したオリンピックもこれを踏襲し、第1回アテネ大会の1896年が「第1回オリンピアード」の元年となった。

 舛本客員教授によると、夏季オリンピック大会は、オリンピアード期間の最初の年に開催される決まりであり、期間中最大のイベントでもある。このため、その開会式で「新しい4年間の到来を祝福する」のだという。

 オリンピアードの意味について多くの人は知らない。ただ、大会名誉総裁として準備を重ねた天皇陛下は、自分が読み上げる開会宣言中のこの言葉の意味を、正確に把握していただろう。

 コロナとともに幕を開け、今後も苦難が続く可能性が十分に予想されるこの4年間を、無条件に祝福していいのだろうか。陛下自身もそんな気持ちにさいなまれていたのではないか。

 ▽政治的意味合い

 率直に言って、今回の開会宣言の文言変更に陛下自身がどこまで関わったかは分からない。しかし、陛下は日頃からコロナ禍の現状と先行きを強く憂慮しているという。

政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(右)から進講を受けられる天皇、皇后両陛下=2020年11月13日、赤坂御所(宮内庁提供)

 6月末には、宮内庁長官が定例記者会見で「オリンピック、パラリンピックの開催が、感染拡大につながらないか、ご心配であると拝察している」と話し、陛下の心中を「代弁した」ことが話題になった。

 拝察発言の際は「天皇の政治干渉ではないか」と疑問視する声が上がり、波紋を広げた。今回は小さな文言の変更に過ぎないが、「祝福しない」こと自体が政治的意味合いを持ってしまう危険性はある。

 それでも、もともとオリンピアードの中心行事が夏季五輪大会であることを考えれば、シンプルに「オリンピアードを記念する大会」と訳した今回の表現変更は、憲章の理念に照らしても妥当なものだろう。開催自体に賛否両論がある中で開幕した東京五輪。読点を含め、わずか約40字の開会宣言は、各方面への気配りを尽くした結果とも言えそうだ。

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