【高校野球】「原監督と1日でも長く…」決勝で敗戦の東海大翔洋、元巨人・熱血指揮官と最後の夏

東海大静岡翔洋・原俊介監督【写真:間淳】

ノーシードから17年ぶり決勝進出、静岡に0-4で敗退

あと1勝届かなかった。元巨人の原俊介監督率いる東海大静岡翔洋は、28日に行われた全国高校野球選手権静岡大会決勝で静岡に0-4で敗れた。原監督はこの夏を最後に東海大静岡翔洋を離れ、今年の選抜高野球大会を制した自身の母校・東海大相模(神奈川)を率いることが確実視されている。甲子園出場は逃したが“原イズム”はチームに浸透し、17年ぶり決勝進出という形になった。

4点を追う9回2死。4番で主将の石上賢真(いしがみ・けんしん)捕手(3年)が二ゴロに倒れると、原俊介監督は数秒間、目を閉じた。泣き崩れるナインとは対照的に、43歳の指揮官は静かに結果を受け入れた。

「最終回に逆転しようと気持ちは強く持っていたんですけどね。勝てれば一番良かったですが、この舞台に連れてきてくれた選手たちに感謝したいです」

原監督は試合後、ベンチに座り穏やかに語った。チームの前評判は決して高くなかったが、ノーシードから17年ぶりの決勝進出。試合を重ねるごとにチームは強さを増した。指揮官も「守備も打撃も精神面も成長を見せてもらった夏でした。失敗すると卑屈になってしまいがちですが、みんな前向きに戦っていました」と成長に目を細めた。

大会直前の東海大相模監督就任報道、「可能性がある」と選手に伝えた

チームを率いて6年目で初めて決勝に辿り着いた。捕手として巨人にドラフト1位で入団した元プロ野球選手。選手たちは「とにかく熱い監督」と口をそろえる。練習中はじっとしていられず、守備練習や打撃練習に加わる。体の使い方やトレーニング方法といった技術面から、力を発揮するためのメンタル面、パフォーマンスを上げる日常生活の送り方までマンツーマンで指導する。

時にプロ野球選手の経験を交えて話をすることもある。グラウンドを離れた寮生活でも靴下を履くように指導するのは、怪我の予防と体温調整が目的。足の裏を怪我すると力が入らず、プロの選手でも気を付けていると説いた。捕手出身とあってバッテリーには思い入れが強かった。打席に入る相手打者を観察すること、打者を打ち取るために最も必要なのは球速ではなく制球と配球。経験と知識を惜しみなく選手へ注ぎ込んだ。

今大会、エースの鈴木豪太投手(3年)が捕手のサインに度々首を振っていたが、これも原監督の教え。バッテリーの息が合っていないのではなく、高校野球では珍しい、投手が首を振るサインを捕手に出させる作戦だった。

今大会直前、選手たちが甲子園出場と原監督への感謝の思いを強くする出来事があった。今年の選抜高校野球大会を制した東海大相模の門馬敬治監督がこの夏で退任し、原俊介監督が後任を務めると報道された。動揺する選手たちは原監督から「その可能性がある」と説明を受けた。そして「最後になるかもしれないが、悔いを残さないよう一緒に長く野球をやろう」と語りかけられた。

選手をねぎらう原監督「やってきたことに自信を持ってほしい」

ナインの合言葉は「甲子園出場」に「原監督と1日でも長く」が加わった。甲子園常連校の常葉大菊川を撃破し、シード校の浜松工も下した。どの選手も試合後に「原監督を甲子園に連れていきたい」と明確な目標を口にした。報道を通じて選手の言葉を目にした指揮官は「自分が連れていきたい」と決意を新たにした。

「一緒に汗を流した日々が頭をよぎりました。甲子園まであと1つ、私自身が初めての経験をさせてもらった。選手たちはやってきたことに自信を持ってほしい」

甲子園はわずかに届かなかった。それでも、古豪復活を印象付け、原監督が示した方向性は間違っていないと証明した。この夏を最後に、指揮官は東海大相模の監督就任が確実となっている。今後については「可能性はあります」と話すにとどめた。夏の大会直前に自身の去就で選手を困惑させた申し訳なさ。一方、選手に対して嘘はつけない性格。導き出した言葉が「可能性はある」だった。

例え原監督が去っても、東海大静岡翔洋からその教えが消えることはない。選手の目標は「原監督を甲子園に」から「原監督と対戦するために甲子園へ」に変わっていくだろう。(間淳 / Jun Aida)

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