【高校野球】「最後の夏は2人で…」争ったエースナンバー、智弁学園左右2枚看板の物語

決勝戦に登板した智弁学園・小畠一心(左)と西村王雅【写真:荒川祐史】

智弁学園は決勝を高田商と決勝を戦い、6-4で20回目の優勝

号泣していたのは優勝した智弁学園の背番号10だった。この夏、5度目の校歌を聞きながら肩を震わせ空を見上げていた。全国高校野球選手権奈良大会は29日、決勝戦が行われ智弁学園が高田商を6-4で下し、夏20回目の甲子園出場を決めた。この日先発を任された小畠一心投手(3年)が試合後に流した涙の理由とは……。【市川いずみ】

準決勝・奈良大付に続いての先発のマウンドだった。前回は初回に被弾。4回でマウンドを背番号1の左腕・西村王雅投手(3年)に譲っていた。「決勝での先発を告げられたのは、準決勝終了後に学校に戻ってすぐだったという。「準決勝は申し訳なかった。自分が投げて甲子園を決める」と前回登板後に熱中症となった西村の分も自身が甲子園へ導く覚悟で決勝戦に臨んだ。

小畠と西村は入学時から左右の2枚看板として期待されていた。1年夏から甲子園の舞台を経験し、当時の2人の関係は“ライバル”。最初に西村がエース番号を付けたときは「今度は自分が1番をとりたい」。そう小畠は漏らしていた。2年4か月という時間が「自分がエースになりたい」という2人の心を変化させた。「最初は悔しさ、自分が1番を取りたいっていうのがあったんですけど、最後の夏は2人で投げないと勝てない。2人で投げるっていうのがこの夏一番(大事なこと)です」と小畠が話すと「(小畠)一心もすごいので、2人で頑張れば」と西村。小坂将商監督が「投手層が厚くなった」と自負するようにそれぞれがチームの勝利に徹する投手へと成長した。

「背番号で試合するわけじゃないんで、2人が投げてそれで1試合勝てればいい」

「あまり調子が良くなかった」という小畠は初回に先制点を許す。それでも「1アウトずつ取っていこう」という植垣洸捕手(3年)の言葉でボールを低めに集め打たせてとる投球に。2回から5回まではランナーを1人も許さなかった。しかし、ここで身体に異変が起きた。「両手、両足が少し痺れていた」とこの日の奈良県の最高気温34.3度の暑さが襲い掛かる。

6回、7回に1点ずつを失い、8回は「気力で」3者凡退に抑えたが限界だった。6-3と3点リードで9回のマウンドへは西村が向かった。「少し緊張していた」という左腕はこの回、高田商の先頭、4番・米田崚一外野手(3年)と5番・山中優輝内野手(3年)に二連打を浴び6-4。その後2死一、三塁と同点のランナーを背負った。「気持ちしかないぞ!」小畠がベンチから声を振り絞った。その言葉を背に西村はギアをあげた。その気迫のボールに対し、代打・杉山太翼選手(3年)のバットが、空を切った。

マウンドに駆け寄った瞬間から涙が止まらなかった。「ほっとした気持ちが一番です。申し訳ない気持ちと嬉しさとほんの少しの悔しさと」。色々な感情が込み上げてきた。

濡れた頬がようやく乾いたのは閉会式が始まってからだった。そんな小畠に「ほんまにありがとう」と西村は声をかけた。「もう今は背番号にあまりこだわらないです。背番号で試合するわけじゃないんで、2人が投げてそれで1試合勝てればいい」。聖地では何度も涙を流してきた。智弁学園で紡いだ2枚看板の絆。集大成は4度目の甲子園だ。(市川いずみ / Izumi Ichikawa)

市川いずみ(いちかわ・いずみ) 京都府出身のフリーアナウンサー、関西大学卒。元山口朝日放送アナウンサー時代には高校野球の実況も担当し、最優秀新人賞を受賞。NHKワースポ×MLBの土日キャスター。学生時代はソフトボールで全国大会出場の経歴を持つ。

© 株式会社Creative2