松田聖子と幾田りらそれぞれの魅力「SWEET MEMORIES」が映し出す心の景色  作詞活動50周年 松本隆の歌詞で多くのヒット曲を生み出した松田聖子の楽曲に迫る

幾田りらがカバーした「SWEETM EMORIES」の味わい

別の味わい方を知って、初めて本来の味を理解する、ということがあると思う。

2021年7月14日にリリースされた松本隆作詞活動50周年トリビュートアルバム『風街に連れてって!』で幾田りらが歌唱した「SWEET MEMORIES」と、オリジナルである1983年8月1日発売の松田聖子の「SWEET MEMORIES」は、私にとってそんなことを感じさせるものだった。

これまで「SWEET MEMORIES」といえば松田聖子のもの一品しか味わったことがなかった。だからこそあくまで “それ” は “それ” であり、松田聖子が歌うゆえの特徴に気がつけていなかったのだなと思わされる。今回は幾田りらによるカバー曲との出会いによって改めて気がついた、松田聖子「SWEET MEMORIES」の魅力について言葉にしてみたいと思う。

幾田りらは、2000年生まれのシンガーソングライターだ。YOASOBIのボーカル、ikura名義での活動もしている。

「夜に駆ける」では、アップテンポで複雑な音程を、ハイトーンボイスで巧みに歌い上げる。シンガーソングライターとして歌う「Answer」などの曲は、その透き通った声が、よりナチュラルに伴奏と馴染みつつ、耳に心地よく広がる。幾田りらの歌う「SWEET MEMORIES」は、その声の特徴や、ピッチの正確さが如何なく発揮されている。レコーディング中の映像が用いられた動画は2ヶ月で104万回も再生されており、次の世代へと松本隆の紡いだ歌詞が伝わってゆく様子が見て取れる。

松田聖子のアンバランスな声のかすれ

それから、関連動画をたどり1983年発売当時の音楽番組で「SWEET MEMORIES」を歌う松田聖子の映像を観る。

これまで何度も観慣れていた、聴き慣れていたはずなのに、「あれ、聖子ちゃんの声って、こんなにもかすれてたっけ?」と思わされる。

当時の過密なスケジュールで特に喉を酷使していたのか、CD音源よりもさらにざらついて聴こえる。

声が枯れた、ノイズのような質感が際立つ瞬間、妙に心に引っかかるものがある。もしかしたら私が聖子ちゃんのことを魅力的だったと思っていたのは、典型的なカワイイ声というより、アンバランスな声のかすれなのかもしれない。これが “キャンディボイス” というのか、と初めて認識した。聖子ちゃんは途中で声が枯れてしまって “キャンディボイス” を使って… という話はこれまでも聞いていたけれど、私は聖子ちゃんこそがアイドルの王道だと思っていたから、実際のところこれまで聖子ちゃんの声をハスキーだなんて思ったことはなかったのだ。

美少女といえば透明感という要素が必要不可欠だと思っていたが、あまり聖子ちゃんには透明感という要素がなかったのかもしれない、と思う。目を潤ませながら情感たっぷりに歌いあげる彼女はしっかりと “存在” している感じがする。観る人の目線を吸引してしまうような佇まいは圧巻で、画面の中には手触り感のある歌姫が君臨していた。

松本隆の同じ歌詞を歌う、松田聖子と幾田りらに共通する要素

昨年の大晦日、紅白でYOASOBIのボーカルとして「夜に駆ける」を歌うikuraの姿を観た時、本当に生身の人間がこの曲を歌っているのか、と聴き入ってしまった。

息継ぎも感じさせないような途切れのないフラットな発声と、正確な音程。高くて透き通った声。おそらく、そのように聞こえるよう、mixする際に調整することによって作られている楽曲(歌声)だろうと思っていたのに、こんなにも原曲通りに歌が上手い人がいるのかと思った。小説の世界観で作られたアニメのMVだけでしか知らなかったYOASOBIが、生身の姿で、生放送で生歌を披露したことも興味を惹かれた。

“アニメ映像” という要素で言えば、松田聖子の「SWEET MEMORIES」にも幾田りらの登場に重なる点がある。

ご存知のように、ペンギンのキャラクターが歌うサントリーのアニメCMがこの曲の露出の最初だった。当初は歌手名がクレジットされず、誰が歌っているのかと様々な憶測を呼んだという。そして、発売時「ガラスの林檎たち」のB面だったにもかかわらず、あまりの人気ぶりに両A面として再度発売されたという逸話もある。

実力のある歌姫は、顔を隠したり、あえて歌い手の名前をはっきりとクレジットしなくても、自然と話題になり、大衆が求めるものだ。

「僕は大衆の力を信じている」

松本隆はしばしば語っているが、今回、幾田りらが歌う楽曲に「SWEET MEMORIES」が選ばれた背景として、制作陣はこの共通点を意識したりしたのだろうか。

この二人の歌手が歌う松本隆の歌詞は、38年も前の楽曲である。同じ歌詞でありながらそれぞれ歌っている景色が全く違うと思うのだ。

松田聖子の歌声に感じた時間と空間、幾田りらの歌声に感じた未来

 懐かしい痛みだわ
 ずっと前に忘れていた
 でもあなたを見たとき
 時間だけ後戻りしたの

松田聖子が歌う「SWEET MEMORIES」には戻らない時間とか、絶対的に離れてしまった物理的な距離みたいなものがはっきりと、日常に根をおろしていた時代を感じる。声のかさつきも重なって、どこか切なくて、手触り感がある。写真という記録はあるけれど、その時その瞬間の出来事は全てが「思い出」として記憶されていた頃を思い起こす――。

それは通っていた店だったり、乗っていた車だったり、時代を彩った音楽だったり。いろんな要素が絡み合ってひとつの思い出を作っていた。今どこで何をしているかわからない過去の恋人や、あったかもしれない出来事を空想する余地がある。松田聖子の歌い方や声のかさつきには、そういう閉じられた空間や時間が感じられた。

一方、幾田りらが歌う「SWEET MEMORIES」にはあまり、“時間” の要素が感じられなかった。それは、現代において歌われたものだから至極当然、というだけの話なのかもしれない。心を包み込むように、あまりにもすっと “馴染む” その歌声は、“終わり” を思わせない。寂しさや切なさはあるけど、どこかさっぱりとしていて爽やかだ。だからこそ、日常の中でゆったりと聴ける。むしろ温もりすら感じる。永遠の終わりを思わせる過去よりも、続いていく未来を歌っている感じがする。

記憶と記録の境目がなくなる中で、“甘い記憶” が指すものとは?

 「幸福?」と聞かないで
 嘘つくのは上手じゃない
 友達ならいるけど
 あんなには燃えあがれなくて
   失った夢だけが
 美しく見えるのは何故かしら
 過ぎ去った優しさも今は
 甘い記憶 sweet memories

学校を卒業しても、同じようにオンラインで友達と繋がれるし、別れた恋人が何しているかも見られる。幸せかはわからなくても自分の幸せなら演出できる時代において、戻らない時に焦がれることは無くなるのだろうか。チャットのやり取りもSNSの投稿も、写真だって何枚でも残せる。記憶と記録の境目がなくなる中で、“甘い記憶” は何を指すのだろう。

これから何年も経っていくうちに、幾田りらの歌う「SWEET MEMORIES」にも、“戻らない時間” の要素が加わっていくのだろうか。それとも、日常の中でふと思い出す過去へのあたたかな懐かしさとして、松田聖子の歌うものとは全く別のものとして受け取られていくのだろうか。

「懐かしい痛み」みたいなものは、わからなくなっていく。昔好きだった人のSNSを見れば、今私の過ごしてる人生とは全く違う人生を送っているから、あったかもしれない未来や別の選択肢などなかったことがわかってしまう。少しも重なり合わなかったことが清々しいほどに現実として存在しているように見える。

果たして、平成生まれの私には「甘い記憶」と呼べるものができるのだろうか。そしてそれは、当時聖子の「SWEET MEMORIES」を聴いていた人たちの世界と重なることはあるのだろうか。 それが残念でもあり、楽しみでもある。

もしかしたら、全く違うものかもしれないな。

松本隆が描いた“風街”、同じ歌詞を通じて変化する心の景色

誰にとっても青春の景色はある。今回のアルバムのタイトルにも用いられている「風街」という言葉は松本隆が青春時代を過ごした街、つまり青山・渋谷・麻布界隈の原風景だという。

私がまだ子供頃、母からこの「SWEET MEMORIES」という曲を伝えられた。寝る前に布団の上で、2番の英語の部分の歌詞を教えてもらったことを思い出す。平成の中頃、母の過ごした青春時代の景色は失われていく中、私は松本隆が綴った風街を心に宿した。

風街は松本隆の青春時代=青山渋谷麻布界隈の原風景だ。だが、おこがましくもあえてここで、“青春時代に見た景色” としてこの表現を借りるとしたら、母にとっての風街を、私はこの曲を通して見ていたのかもしれない。

そして私にとっての風街もきっと存在しているのだろう。その景色のことをもっと先の未来に想うときに、今この時代の音楽は原風景として懐かしむべきものになっているのだろうか。それとも、私は変わらず松本隆が描き、母が見た風街を心に描きながら歳を重ねるのだろうか。

同じ歌詞を通じて、それぞれの世代が重ねていく心の景色も街のように変化していくのかもしれない。そして、それらをそれぞれに愛しいと思う人がいる。松本隆が描いたのは、本当に “街の景色” そのものだったのだろうと思う。歌詞は世界だ、ということを時代を重ねてゆくことで、改めて感じる。

街は変わっていく。時代はめぐる。音楽は紡がれる。

カタリベ: ミヤジサイカ

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