《戦後76年》日本軍玉砕、兄が戦死した島の複製地図発見 茨城・土浦の男性、寄贈先探す 米軍が作成、当時知る貴重な資料

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日本占領下のタラワ島の米軍地図複写を説明する飯村忠義さん=土浦市内

茨城県土浦市在住の男性が、第2次世界大戦中に兄が戦死した南太平洋の国キリバスの当時の軍事地図の複製を“発見”し、寄贈先を探している。米軍が作成した日本軍占領下の島の地図で、米軍の総攻撃を受け日本軍は玉砕。地図は男性が戦後入手した。兄の死から78年、戦後76年を迎え、「当時を知る貴重な資料。平和を考えるきっかけになれば」と話している。

複製地図の所有者は同市右籾の飯村忠義さん(80)。

飯村さんは1986年、亡き兄、博さん(享年19歳)の慰霊として、戦死したキリバスのタラワ島を日本遺族会員と共に訪れた。兄の霊を弔い、砲台や軍司令部の建物跡を見学した。現地の役所で当時の米軍資料を見せてもらい、地図の複写を入手。帰国後、録画した島や慰霊の映像とともに父親に見せた。父は半年後永眠。飯村さんは「安心したのだろう」と振り返る。

地図はしばらく行方が分からなかったが、笠間市の実家にあるのが6月見つかり、飯村さんは寄贈を決めた。

地図は縦約70センチ、横約110センチの厚紙。3150分の1の島の全容が手書きで記され、日本軍の建物や滑走路、武器の配置や数、照明、防空壕(ごう)の深さまで事細かく描かれている。口径20ミリ〜105ミリまでの機関銃や対空砲の大きさも明記。1943年9月18〜20日に空撮調査が行われ、10月に特別軍事地図として実戦攻撃用に作られたとみられる。11月21〜23日に陸海空の総攻撃が行われ、日本軍はほぼ全滅し約4700人が死亡したと伝わる。

飯村さんは「ここまで陣地が細かく相手に漏れていては、攻撃は防げなかったのだろう。玉砕した中に兄がいたのは残念」と語る。

博さんは鉄道の仕事をしていたが、家族にも伝えず志願して海軍の横須賀特別陸戦隊に配属。日本軍占領下にあったタラワ島に渡った。滞在中、両親には1度だけ手紙を寄せた。「ほうれん草が食べたい。せめて絵だけでも送ってください」と書かれていた。1年ほど後、実家には戦死の通知が届いた。

博さんが眠るのは笠間の寺院。飯村さんが島から持ち帰った砂を遺骨も遺灰もない墓に入れた。末弟の茂さん(77)=同市笠間=は、自宅敷地に立つ小さなお宮を毎日拝む。「優しい人だったと聞いている。今思っても本当にかわいそうなことをした」と涙を拭った。飯村さんは地図の寄贈先として護国神社や博物館、平和資料館などを考えているという。「現在も欧米と中国が対立しているが、戦争を防ぐことが最も重要。少しでも戦争と平和を考えてもらえれば」と願いを込めた。

19歳で戦死した飯村博さん