東京五輪 水球男子 コップの母「長崎のおかげで今がある」 息子の奮起願う

 29日の東京五輪水球男子1次リーグ3戦目でギリシャに1点差で敗れた日本。長崎県西彼時津町出身のコップ晴紀イラリオ(22)=DSKドラゴンズ=は、守りの要として力を尽くした。37年ぶりの五輪1勝は持ち越しとなったが、高校から県外に出た息子のたくましく成長した姿に、母の真紀さん(50)は「夢がかなった。多くの指導者に恵まれて育ててもらえたから今がある」と声を震わせた。
 2000年4月、アルゼンチン人の祖父(故人)が長崎外国語短大(現・長崎外国語大)に教授として赴任。その後、晴紀が2歳の時、コップ家族も京都から長崎へ移住した。祖父、父ともに180センチ超の長身で体格がよく、184センチの晴紀も「出生時の体重は4千グラムくらいで頭一つ大きい赤ちゃんだった。中学に入ってからもどんどん大きくなった」(真紀さん)。
 2男1女の長男。幼いころから「なめしスイミングセンター」で水に親しみ、町立時津東小2年で水球を始めた。きっかけは新聞に載っていた「長崎水球クラブ」の募集記事。当時は14年長崎国体に向けて、各競技が強化のために体験教室を頻繁に開いていた。その中から未来のオリンピアンは、決してメジャー競技とは言い難い水球を選んだ。
 以降は同クラブの北山智之代表(県立長崎西高教諭)ら熱心な指導者の下、基本を大切にしながら着実にレベルアップ。町立時津中3年時の全国大会でチームを準優勝に導いた。真紀さんは常々「長崎のみなさんのおかげで成長できた」と口にしてきた。
 卒業後の進路は悩み抜いた末、全国屈指の強豪、秀明英光高(埼玉)に進んだ。結果、長崎国体は地元の「敵」。親子で心苦しくはあったが、その経験も心の成長を促した。日体大では早くから主力となり、最終学年で主将も務めた。
 五輪代表入りが決まった翌日。真紀さんは地元の人たちから、たくさんの「おめでとう」をもらった。応援してもらえていることがうれしかった。
 だからこそ、画面越しにエールを送り続けたこの日は「最後の大事な場面で守り切れずに申し訳ない」と涙を流した。「残り2試合で勝利に貢献して恩返しをしてほしい」。母は息子の奮起を心から願っている。

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