五輪 陸上女子5000 廣中 初出場で決勝へ 恩師「芯が強くぶれない子」

 長崎県大村市から2人目のオリンピアンが30日、東京・国立競技場のトラックを疾走した。陸上女子5000メートル予選に挑んだ廣中璃梨佳(20)=日本郵政グループ=は、世界を相手に堂々の走りを披露して、自己ベストの14分55秒87で決勝へ進んだ。大村市立桜が原中時代の廣中を指導した定方次男さん(56)は「初出場で決勝を経験できるのは大収穫。世界トップレベルの生きたレースを体感できる」と声を弾ませた。
 トレードマークの帽子をかぶり、がむしゃらに先頭を走る姿が印象的なランナー。20歳にして五輪の舞台に立ったホープだが、最初から速かったわけではなかった。定方さんが中学入学当時を振り返る。「友人に流されて入部してくる子が多い中、1人だけで来た。芯(しん)が強くてぶれない子だった。でも、入部当初は遅かった。みんなについていけなかった」
 その言葉通りに、当時は市の大会でも入賞できず、県大会は予選落ち。貧血にも悩まされ、2年生の秋ごろは「マネジャーとしてタイム取りの仕事をしていた時期もあった」。
 それでも、泣き言などは一度も聞かなかった。毎週水、土曜は市陸上競技場で集団走、日曜は池田湖や富の原にある海沿いの片道約1キロをロードワーク…。元実業団ランナーの定方さんの「ジョギングの爽快感や練習をみんなで乗り越える達成感を大切にする」という方針の下、勝てない中でも、陸上の楽しさを知っていった。
 ブレークしたのは3年生になってから。走るたびに自己新を出して、一気に県のトップレベルへ駆け上がった。「集中力がすごい子で謙虚に努力も積み重ねていた」。以降、才能を開花させた大器は好記録を連発。長崎市立長崎商高時代は、各種全国大会で入賞を続けた。特に駅伝は無類の強さを誇り、中学3年から現在まで、すべての大会で区間賞を獲得している。
 定方さんは「まだ世界との差は大きい。五輪はあと3回チャンスがある。そこで勝負できればいい」とみている。3年後は23歳、7年後は27歳、11年後は31歳。そのためにも「順位は何位でもいいから、決勝で日本記録(14分53秒22)をつくってほしい」と願う。
 璃梨佳らしく、謙虚に、楽しく、応援してくれるみんなのために-。その走りは必ず、3年後のパリにつながると信じている。

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