一人一人が望む生き方ができる社会に 元NTT社員はなぜ政治家に? (立憲民主党 山口県第一区総支部長・大内一也さんインタビュー)【PR】

インターネットの黎明期にNTT社員としてサービス普及の仕事をしていた大内一也さんは、「一人一人が望む生き方ができる社会のために貢献したい」という想いを持ち続け、教育関連会社に転職後、千葉県鎌ケ谷市議に。衆院選への立候補の意欲も見せる大内さんに聞いた政治家になったきっかけ、国政ではないとできないこと、とは?

選挙ドットコム編集部(以下「選コム」):政治家になる前には、NTTにお勤めだったとのことですが、どのようなお仕事をされていたのですか?

大内一也さん(以下「大内氏」):1996年に入社し、数年は島根や広島など山口県近辺の支店に勤務していました。当時はインターネットが普及し始める時代で、1999年に本社で光ファイバーやADSLサービス(後のフレッツ)のプロジェクトチームが立ち上がり、そこで4~5年頑張っていたというのがキャリアのスタートです。

選コム:当時は、政治家になりたいという気持ちはありましたか?

大内氏:政治家になりたいとはまったく思っていなかったです。ただ、興味はあって、学生のころから小沢一郎さんの本を読んでいたりはしていました。でも自分がなろうとは思っていなかった。仕事を通して、世の中を良くするサービスをもっともっと提供して、社会に貢献したいと思っていました。その気持ちは変わっていません。

選コム:そこから、あえて政治家を目指したのはなぜですか?

大内氏:30歳くらいの時に、自分が本当に社会に貢献できることはなんだろう?自分の適正はなんだろう?と1年間くらい悩み続けたことがありました。悩んだ末に、自分は人を応援するのが好きなんだという結論になり、子供たちの成長を応援する教育の仕事がやりたいと、32歳の時に思い切って転職しました。

「7つの習慣」という本をベースに、目標達成のすばらしさや、自分がやりたいことを実現するためどうしたらいいかをゲーム形式で学ぶことができる教材とカリキュラムを提供する会社です。

教材作成はたいへんでしたがやりがいもあり、充実した日々を過ごしていました。4年ほど頑張っていましたが、そんなときリーマンショックが起きて、大学生の就職難が起きた。大学生や社会人向けの教育、支援事業もやってみたらどうかと社長に相談してみましたが、なかなか会社も余裕がなくてできない。じゃあ自分でやってみようと独立を決意しました。今思うと若気の至りです(笑)。

まず、支援のためにキャリアカウンセラーの資格の勉強をしました。また、独立のため社会人起業家の塾を紹介してもらい入塾しました。一新塾といって政治家育成も兼ねている塾です。学生や若手社員を支援する社会起業家になるため塾で学んでいましたが、一方、応援好きの癖が出て政治家を目指す塾仲間などの選挙応援をしていたら、政治家をやってみないか?と声をかけられました。

当時、寝る間も惜しんで学生の就職支援を頑張っていましたが、一人が支援できる人数に限界を感じていました。学生の状況や、就職状況などは世の中の仕組みを根本的に変えないと改善できないと感じ、世の中の仕組みを作る仕事を思い切ってやってみようと思ったのが政治家を目指したきっかけです。

選コム:はじめは、鎌ケ谷市議になられて、実際に議員になってどんなことを感じましたか?

大内氏:議員になる前は、正直なところ市議はそんなに仕事はないんだろうなと思っていましたが、そんなことはなくて(笑)、 いくらでもある。地域の困りごとで、どこに相談したらいいんだろうということがいくらでもある。例えば、通学路で子どもがたくさん通る道が狭い、障害を持っている方の就職先がなかなかないなど。障害者の就職の問題については、重点的に取り組んで、就労施設をまわってお話を聞いたりなどしていました。市議会議員もやれることはたくさんあるんだなあと感じました。

選コム:障害者の就職で現場で困っていることはどんなことがありますか?その件で市議会で提案したことなどは?

大内氏:障害を持っている子は、就職しても普段の生活などでサポートがないと自立して生活するのが難しい場合が多いです。親はこの子は死んだ後に生きていけるのか?と心配している。70歳くらいの親で40歳の子どもの場合など、どのように「自立」をサポートできるのかと、もっと安定した生活ができるようになるにはどんな支援が必要かなど、考えて議会で質問していました。

障害者施設の維持のため、職員の給与や待遇を上げるなどの施策も提案しました。当時、保育士や介護士等の待遇はテーマとしてよく取り上げられていましたが、障害者施設の方の待遇はあまり上がってこなかった。でも結局、その指針を決めるのは国なんです。市の職員は「国が決めることなのでお答えできません」となってしまう。そこに限界を感じました。

選コム:では、国会議員になったらやりたいことはどういったことですか?

大内氏:「一人一人が望む生き方ができる社会を作りたい」というのが根本としてあります。雇用問題も個人的に重要テーマですが、日本は賃金やGDPも下がっている。コロナで失業、経済も落ち込んでいる。ここがまず良くならないと、一人一人が望む生き方はできないと考えています。そのために、消費税減税、それから、積極財政と呼ばれる国が借金をしてでもしっかりとお金を出し、国民の暮らしが苦しくならないように、会社・事業が潰れないように底支えする政策がしたいと思います。

選コム:若い世代で、自分たちの困っていることがあっても政治で変えられると思っている人が少ないと思います。どうやったら政治に関心を持ってもらえると思いますか?

大内氏:日々の生活に、直接政治が結びついていると実感できると、関心を持ってもらえるのかなと思います。例えば、会社で以前よりも有給が取りやすくなっていますが、実は政治が動いてより取りやすいような仕組みを作っているんです、という話をする。産休や育休もそれを支援したり、会社も出産で辞めてくださいというのはダメですよと、そういうのは政治が決めて、支えている。そうした身近な問題を例に話せば、政治に興味持ってもらえるのかなと思っています。

選コム:お子さんはいらっしゃいますか?

大内氏:2人います。4年前に結婚しましたが、妻は再婚で20代の息子と娘がいます。先日孫も生まれて、おじいちゃんになりました。本当にかわいいです(笑)

選コム:結婚して、政治や社会に対する考え方は変わりましたか?

大内氏:より暮らしに根差した政策を考えるようになりました。妻は約15年シングルマザーとして頑張って子どもを育ててきました。当時の子育ての話をよく聞きますが、シングル家庭の支援、子育て支援は日本はまだまだ弱いなと感じました。子どもの教育の金銭面での家庭の負担を、もっともっと改善しなければいけないなという意識は強くなっていきました。小中学校では、習字などの副教材や部活など、なんだかなんだとお金がかかる。前の選挙で公約にも書きましたが、副教材の無償化も大事だと、結婚して知ったことがたくさんあります。

選コム:ちなみに奥さまとはどこで知り合われたのですか?

大内氏:地域の催し物の手伝いをしていた妻と話をしたのが知り合ったきっかけです。妻はチラシやパッケージなどのデザインの仕事をしているのですが、そのとき地域案内のチラシを見せてもらい、親しみやすいほのぼのとしたデザインで、私のチラシもこういうのができないかなと相談して、作成してもらったのがご縁でした。

いまでもポスターやチラシは妻に作ってもらいます。私の思いをよく知ってくれているので、「こんな感じ」とイメージを伝えれば作ってくれるのでとても助かっています。ときに厳しい指摘も受けますが、違う視点で見てくれるので、”ご意見番”として相談しながらやっています。

夫婦で話し合いながら作成するパンフレット

 

大内一也氏 プロフィール

1973年生まれ。 山口県周南市出身。1996年 山口大学経済学部卒業、NTT(現NTT西日本)に入社。フレッツ立ち上げメンバーの一人。2005年 株式会社FCEエデュケーションに入社。子どものやる気と自信を育む教材作成に携わる。2012年 株式会社キャリア・クロップを設立。主に学生、若者向けに就職支援、研修を行う。

2015年 千葉県鎌ケ谷市議会議員初当選、2017年3月26日民進党山口県第1区総支部長に着任。10月に行われた第48回衆議院議員選挙に出馬。36,582票を獲得も敗戦。その後地元周南市にて介護職に関わる。2018年6月に国民民主党 山口県第1区総支部長に着任。2019年 7月に行われた参議院選挙に山口県選挙区で出馬。118,491票を獲得も落選。2020年9月に合流新党「立憲民主党」に参加。立憲民主党山口県第1区総支部長に着任。

大内一也   Webサイトhttps://www.ouchikazuya.com/

       Facebookhttps://www.facebook.com/ouchikazuya1010
       Twitterhttps://twitter.com/ouchi_kazuya

 

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