11PM世代の男性をアツくする! 元カバーガール・小栗香織が23年ぶり新曲で本格再始動

23年ぶりの新曲リリースに意欲を見せた

【直撃!エモPeople】「11PM」(日本テレビ系)のカバーガールが本格再始動する。かつて日本中の男たちがくぎづけになった伝説の深夜番組でのキュートな笑顔と踊りで人気を博していた小栗香織(50)。最近は女優や韓流アイドルの出版プロデューサーとして業界では知られているが、この夏、自身23年ぶりの新曲をリリースした。元現役女子高生アイドルが秘話とともに芸歴33年を振り返った。

1965~90年に放送された大人の深夜番組「11PM」にはアシスタントのほか、カバーガール、温泉紹介コーナーのうさぎちゃんなど、美女が多数出演。そのカバーガールには後にブレークするRIKACO(村上里佳子)、岡本夏生らが出演し、飯島直子と89~90年に共演していたのが小栗だ。

「出演し始めたときは高3でした。飯島さんよりも年下の私が先にやってて、お姉さんたちは番組が終わると六本木に繰り出してたんですが、私は横浜の事務所社長宅に住んでて、マネジャーが必ず付いてたので、行けなかったのを覚えてますね」

振り付けのラッキィ池田から、本番10分前に指示された踊りを覚えて、CM前の数秒間、カバーガール3人で踊った。常にセンターの位置で、キュートな笑顔とスレンダーボディーで人気だった小栗には最も多くのファンレターが届いたという。

「当時の司会は関根勤さんと高田純次さん。特に高田さんはのちに“芸能界一のテキトー男”と呼ばれるようになりますが、やさしかったですね」

バブル経済真っただ中、グラビアの仕事も殺到し、写真集も次々とヒットした。「ポスターを撮るのに2週間かけてハワイなど南の島に行って、最初の1週間は日焼けするだけの仕事でした」という時代だった。

95年には女優として中山美穂と豊川悦司主演の映画「Love Letter」に出演。日本でもヒットしたが、お隣の韓国でもヒットした。韓流ブーム前から韓国の映画が好きだった小栗は韓国での女優デビューを夢見るようになった。

そんなとき、東京で知り合ったのが韓国人会社員の現在の夫。

「韓国男性特有の情熱的な猛アタックで、会うたびにバラの花束とプレゼントを渡され、2回目のデートで韓国に連れていかれ、両親にあいさつしましたね。普通のサラリーマンだったのが私には逆に新鮮でした」

韓国にも何度も渡り「Love Letter」出演女優として知られたこともあり、2004年には釜山国際映画祭にゲストで参加し、仕事が決まりかけ、韓国移住に踏み切ろうかとしていた矢先、妊娠が判明。韓国デビューはいったんあきらめ、東京でのプライベートを優先し結婚、出産、育児に備えた。

その時の縁もあり、20代後半から始めた出版プロデューサー業では、韓流アイドル「超新星」ユナクの写真集などのほか、韓国人新人タレントのプロデュース、日韓友好イベントなど、韓国関連の仕事が今も続いている。

公私ともに順風満帆だったが、16年、悲劇が襲う。乳がんを告知されたのだ。前年に実母を腎細胞がんで亡くした直後だっただけにショックだったという。

「母のことがあったので毎年の検査に加えて再検査したらがんが見つかって3回手術し、投薬治療が始まりました。闘病生活の中、息子が『僕は将来、お医者さんになる』と言ってくれたのには涙が出ましたね」

この7月、5年間にわたった投薬治療は完了。それと同時に、他人のプロデュースではなく、小栗自身が本格的に再始動。Kaori Oguri名義で、23年ぶりの新曲「寄り添って」をリリース(配信中)した。

「コロナ禍の大変な時代だからこそ、少しでも光や希望を微力ながら届けることができたら、という気持ちで歌っています。恋人や大事な家族を思って幅広いいろんな世代の方に聴いてもらいたい」

年内には同曲をメインにライブを開催したいといい、再スタートへ目を輝かせている。

☆おぐり・かおり 1970年9月14日生まれ。神奈川県出身。88年「豊島園」夏のイメージガールでCMデビュー。89~90年「11PM」(日本テレビ系)カバーガール、グラビアで人気となり、写真集は9冊出版。91年「世にも奇妙な物語」(フジテレビ系)などのドラマ、映画「青春デンデケデケデケ」(92年)、「Love Letter」(95年)などに出演。2005年、韓国人会社員と結婚。長男出産。16年、乳がんを告知され摘出手術。女優活動と並行し、出版プロデューサー、心理カウンセラーとしても活動中。23年ぶりの新曲「寄り添って」が配信中。

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