闘将・星野仙一さんから漏れた本音、侍JAPAN監督の重圧を思う 08年北京五輪後に厳しいバッシング

東京五輪の野球で熱闘が続く。正式競技として初の金メダルを狙う日本は1次リーグの2戦をいずれも逆転で制して、1位通過で決勝トーナメントに臨む。侍JAPANの稲葉篤紀監督(48)は「チームがいい方向に動き出したなという感じ」と手応えを示したものの、金メダル獲得までの道のりは決して平たんではない。指揮官にかかる重圧は想像以上だろう。

インタビューに受け答えする稲葉監督の姿を映像でみて、2008年北京五輪後に闘将と呼ばれた故星野仙一さんから聞かされたある言葉を思い出した。私は過去、広島、阪神、日本ハム、ヤクルト、横浜(現DeNA)、巨人、西武の7球団を担当してきた。だが、星野さんの現役時代はまだ学生で、この仕事をするようになってからも監督と担当記者という関係ではなかった。だが、駆け出し記者のころ、星野さんの学生時代からの盟友であるある山本浩二さん(74)のひと言で、認識してもらえるようになった。

記憶の糸をたぐると、星野さんが現役を引退してNHKの解説者として活動し、山本浩二さんが現役だった1986年5月の中日-広島3連戦ことだったと思う。この3連戦は中日のホームゲームで福井、金沢を転戦する北陸シリーズだった。今と違って当時は宿舎での取材が許されており、ネタ集めにため広島が宿泊する金沢のホテルに顔を出した。このとき偶然ロビーで星野さんと山本浩二さんが談笑していたのである。NHKの取材の後だったかもしれない。浩二さんが星野さんに「こいつ担当記者なんだけど、しつこくて困るんだ」と紹介してくれたのである。その言葉に、星野さんが笑いながら「こんな所まで取材にくるんか。大変だね。若い記者にはこいつ(山本浩二さんのこと)取材するの大変だろ。頑張れよ」と励ましてくれたのである。

その日を境に、あいさつをすると返事を返してもらえるようになった。その後、星野さんは阪神の監督となったが、私がプロ野球担当を離れたため顔を合わせる機会はほとんどなかった。だが、2008年は私が野球担当のデスクとなり、星野さんが侍JAPANの監督として指揮を執る北京五輪の戦いには注目していた。

だが、結果は4位。メダルを逃したことで星野さんはたたかれまくった。そんな星野さんと久々に会話を交わしたのは、同年12月11日に都内のホテルで行われた「山本浩二野球殿堂入りを祝う会」のときだった。私は取材ではなく、会に招待されていた。そして開会前にあいさつにいったのだが、星野さんが発した言葉は「今回のことで誰が味方で、誰が敵かよく分かった」だった。しかも2回、この言葉を繰り返した。壇上では、山本浩二さんを褒めたたえ「数十年間の仲間は裏切らない。ほかの人はすぐ裏切る」と冗談交じりであいさつした。だが、その前の言葉を聞いていた私には本音としか聞こえなかった。

日の丸を背負う重圧、そして結果で手のひら返しされ、さまざまな批判を浴びせられる風潮に、闘将が吐いた弱音だったかもしれない。

(デイリースポーツ・今野 良彦)

© 株式会社神戸新聞社