谷口智彦のこの一冊|兼原信克著『歴史の教訓 -「失敗の本質」と国家戦略』 安倍晋三前総理のスピーチライターを務めた谷口智彦氏が選ぶ珠玉の一冊!

巻頭、第一頁を読み始めてすぐ、本書の面白さには無類のものがあると思った。無類であるからには解説が要る。その任を引き受けたいと念じて、こうして筆を執っている。

評者は、著者が2019年9月末に退官するまでの約7年を、総理官邸4階の隣人同士として過ごした。

実務家としてのその働きと、近代日本が何を過ったか見究めようとして著者が歴史認識を深めていく様子とを、近くで見た。拙い一文でも綴って、本書に読者の関心を招きたいと思ったゆえんである。
安倍晋三総理大臣が著者に与えた二つの任務が、著者を歴史の独習に駆り立てた。視座を高みに上げ、類例を往時に探る態度を育てさせた。本書に見てとれるのはその結実だ。

任務の第一として、安倍総理は著者を走らせ、国家安全保障会議と国家安全保障局を作らせた。新体制下で初の安保戦略を立てさせ、次いで平和安全法制の成立に漕ぎつけさせた。無論、氏一人の業ではない。がたとえば与党をまとめるうえで、氏の働きはいかにも大きかった。

第二の役目は、いわゆる慰安婦問題における「河野談話」の経緯を再検証すること、「戦後70年談話」に盛り込む内容を有識者とともに検討することなど、総理にとって頼もしい「官邸内歴史家」となることだった。順に見ていくことにする。

国の安保を、自己決定の客体物として我が事と得心できた人は、安倍政権が諸策を講じ安保における自立を図るまで、この日本に存在し得なかった。冷戦と核戦力における恐怖の均衡が続いた間、日本における国家の安全とは詰まるところ、米国から授かる所与の財だったからだ。

米国に与えられ、後には自ら紡いだ繭玉の内に安住する限り、自己決定に伴う苦渋は味わわずに済んだ。

とすれば著者は繭玉をようやく破り出た人、一旦緩急のとき、国家の安危は自らの掌中に落ちると、そうリアルに感じたさきがけであろう。

著者は国家安全保障局の創設幹部として、国運を動かす自己決定の重圧を知った。著者は戦後日本でそこを看取した最初の一人である。 「畏れ」を抱いたのでもある。国家の究極に際し、伸るか反るかの判断を過たずにいられるか。本書冒頭で著者が語る「脳裏を離れなかった」悩みとは、そこに由来する。

安倍総理と同じ目線

ところで右に数段落を費やし著者について評したところは、より本質的に安倍総理について当てはまる。

国の安全を最大化し危殆を最小化する責めの重みなど、来てすぐ去る類の首相には、自覚したくともできない。制度の改変に自分の政治資本を費すことがどれほど忍耐を強いるか知らない人にも、難しかろう。

安倍総理は、著者らを用いて新政策を実地に移しつつ、国家の安保とは日本人の手になる自己決定の対象であって、それ以外ではないことを日増しに強く自覚した宰相である。

本書が無類であるわけは、総理の視線が著者のそれであって、著者の視座はまた総理の見る景色でもあろう、きっとそうに違いないと、読者に思わせるところにその一端をもつ。

これが、著者の獲得した視座の標高だ。すると歴史上の誰彼が、その山稜が、まるで違って見えてくる。たとえば次のくだり。

「日露戦争が終わった後、日本の国家安全保障戦略上、特筆すべき文書が書かれている。第一次帝国国防方針である。(中略)田中〔義一〕の起草した(中略)この帝国国防方針は、戦略的思考に貫かれ、現在の国家安全保障戦略体系に近く、その論理の組み立て方は現在のものよりも優れている」。
本格的文書としては戦後日本にとって初めてといってよい安全保障戦略の起案を手掛けた人として、自分だったらああ書けたかを、著者は自らに問うた。実作者ならではのそんな問いがあって、右の答になった。

読者はここで、大昔の文書が突然令和の当世に同時代的意味合いを帯びて現れ、等尺度で評されるのを見る。実際、著者の筆にかかると、田中や、のちに日本を誤まらせる松岡洋右はほとんど「属僚」扱いだ。

われわれ松岡などの名を、高校の頃に知る。疎遠な人として、また位を極めたからには一応の人物だったのだろうと想像し、記憶に残す。ところが著者の場合、いつしか彼らに、自分や同僚に当てるのと同じ尺を当てる心の働きを身につけた。国運を担う当事者として得た著者の強い責任意識が、そうさせたに相違ない。

ゆえにその人物月旦は厳しい。同僚には、二種類、出来る同僚か、出来ない輩かがいるだけだからだ。「昭和前期に日本が道を誤ることになる最大の原因」を、本書は「統帥権」が肥大し、軍が横車を押すだけで内閣を潰せるほど不可侵なものとなったところに求める。これ自体はよく見聞きする説で、ことさら著者の卓見とするに足りない。

本書の面白さは、同じ通説に到るのでも、その到り方のユニークさにある。対米交渉が頓挫した事情について著者は「外交の大局を忘れた事務的発想」 「何らの責任も負わぬくせに自らが国家の命運を握っていると思い上がった軍の下僚たちを、政府と軍の重臣たちは誰も止められなかった」と手厳しい。史観や、思想信条のゆえではない。国の安危を担う当事者として往時を見るなら抱かずにいられない憤りが、筆鋒となる。「ナニやってんだ」というわけである。

著者における歴史への関心は、ここにその特徴がある。それは常に国運への危機意識、二度と再び過つまいとする動機に由来する。歴史学者の手並みと同列には論じられない。

著者の執務室には、行くたび嵩を増す歴史書の(すべて自費購入の)山があった。実務家として著者がなした貢献は右に見たとおりとして、著者にあった他の一面、総理お抱え歴史家として果たした役割に触れよう。

ここでも著者が残した足跡は目覚ましい。「アジア女性基金」から一人約500万円を受け取った韓国人「元慰安婦」の数は、従前の通説7人をはるかに超え61人に達していたことを明るみに出したのは、著者が切り回した検証プロジェクトだった。

「70年談話」への貢献

いわゆる「戦後70年談話」に盛り込む内容を、重鎮・気鋭・実務家を集めて作り込むオーケストレーションを手掛けたのも著者である。「ナチスが始めた欧州大戦に日本がもし中立を保っていたら、日中戦争は『巨大なベトナム戦争』で終わっていた。つまり日本軍と蒋介石軍が押しては返すさざ波よろしく競り合っていただろうから、毛沢東に出番はなく、共産中国もなかった」 と、種々「イフ(もし)」を著者が着想したのは、この過程においてだ。それを著者は、学者らと開く研究会が終わるや否や総理に伝えた。

総理は総理で日本の近現代に関し百科全書的知識の持ち主であるうえに、統治者たる者、未来を過たないためにこそ過去を知るべしとする態度で一貫している。かつそこは、著者と同期していた。著者はそんな総理に、本書の随所に片鱗を示す比喩の巧みさを援用しつつ、勇んで話をした。総理も、これを楽しみにした。

「談話」の内容は、著者の縦横な語りを聞きながら、総理が結晶させたものである。あとは、今井尚哉補佐官や、佐伯耕三秘書官が聞き取り、文章にするだけでよかった。

本書には、カリブ海から近代を望見する類の「グローバル・ヒストリー」が与える知見はじめ、著者の鑑識眼が再構成した歴史が綴られている。しかしそこにすら、日本の来し方行く末をいかにとらえ、どう説明すべきか言葉を得ようとする強い情熱があることを見失うべきでない。

近代以降、日本は政治経済制度の充実に、ジグザグを経ながら取り組んできた。栄光と挫折と、いずれも普遍語にして外国に伝えたいと思えばこその、著者の独習だった。

著者は、萩の人。吉田松陰を崇敬してやまない点がまた、安倍総理と共通だ。総理はここ一番というとき、卓越した下僚に恵まれ幸せだった。著者・兼原信克氏にとっても、内奥において通じ合える総理に仕えることができた7年は、至福のときだったに違いあるまい。

谷口智彦

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