難病を克服し、高校野球の非常勤コーチに 元G戦士の指導法は長嶋茂雄氏譲り

巨人、西武、中日で主に遊撃手として活躍した鈴木康友氏【写真:中戸川知世】

併殺プレーは「パン・パン・パン・パンのリズムで」

かつて巨人、西武、中日で主に遊撃手として活躍し、引退後も名コーチとして知られた鈴木康友氏。2017年に血液の難病「骨髄異形成症候群」を発症したが、ドナーの臍の緒から造血幹細胞を移植する「臍帯血移植」を受けて克服。現在は埼玉・立教新座高の非常勤コーチを務めるかたわら、闘病の経験を基に講演活動にも取り組んでいる。

2018年3月8日に移植手術を受け、6月23日にようやく退院。10月に、かつて長男が所属していた立教新座高野球部の非常勤コーチに就任した。冨部勇人監督は長男の同級生だった。

「グラウンドに足を踏み入れた初日は、まだ体力がなくて、体がふらふらしていました。それでも選手たちがパッと立ち止まり『ちわっ!』と挨拶してくれる。あれが気持ちよくてね……」と振り返り相好を崩す。

「最初はトンボを持って、選手にグラウンドのならし方を教えました。まず目に付くのはそういうところなので」。週に1、2度グラウンドを訪れるうちに、指導も熱を帯び始める。15年間の現役生活を終えた後、西武、巨人などNPB5球団で計18年間コーチを歴任した他、独立リーグやクラブチームも指導した豊富な経験で培った技術を伝えている。

たとえばレフト前ヒットを打った時には、一、二塁間の中間くらいまでオーバーランし、「相手がエラーしてから次の塁を狙うのでは遅い。『(エラーを)やれ、やれ』と念じながらベースを回れ」と指導する。常に次の塁を狙う姿勢が、相手野手にプレッシャーをかけることにもつながる。

恩師の巨人・長嶋茂雄終身名誉監督ばりに、擬音とジョークを交えて話すこともある。二塁手と遊撃手によるダブルプレーの指導は、鈴木氏にとって本職とも言えるものだが、まず選手たちに「朝食にはパンを食って来いよ」と語りかけニヤリ。「ゲッツーを取るにはリズムが大事だ。ショートゴロであれば、捕球で“パン”、二塁送球で“パン”、二塁手が捕って“パン”、一塁へ送球して“パン”だ。パン・パン・パン・パンのリズムでいけ」と言うのだ。

トスは「相手に自分の手相を見てもらうつもりで丁寧に」

守備中、味方にボールをトスする際には「相手に自分の手相を見てもらうつもりで丁寧にトスしろ。『僕の運勢はどうですか?』と話しかけながらトスしてみろ」とアドバイス。こんなユーモアが、62歳となった鈴木氏と高校生の心の距離を埋めていく。

後世に伝えたい高校野球の精神もある。鈴木氏は奈良・天理高時代、春夏合わせて4度甲子園に出場。3年だった1977年選抜高校野球大会では、1回戦の栃木・作新学院高戦でバックスクリーン右へ特大本塁打を放ち、一躍注目の的となった。だが、全国制覇を目指した同大会は準々決勝で、部員わずか12人による快進撃で「二十四の瞳」と話題になっていた高知・中村高に敗れている。

中村高戦の守備中、相手の主将が二塁に進塁してきた。牽制球が送られた後、鈴木氏が二塁ベース付近の土をならすと、相手主将も「ごめんな」と言いながら、手で自分の足跡を消し始めた。「昭和の時代ですから、帰塁の際にわざと猛烈なスライディングで守備側の選手へ土を浴びせかけるような荒っぽい選手はいましたが、あんな光景は初めて。心を動かされました」と振り返る。

「骨髄異形成症候群」の手術では、2016年10月生まれの男児から提供を受け冷凍保存されていた臍の緒から「造血幹細胞」を採取し移植した。「命を助けてもらった恩返しをしたい」と講演活動などを通し啓発に取り組んでいる。

一方、「アマチュア野球の指導に興味が湧いてきた。高校野球の監督になるのが夢」と明かす。国内最高峰のNPBで選手として15年、コーチとして18年戦ってきた鈴木氏に、闘病を経て新しい目標が生まれた。

【写真】難病を克服した鈴木康友氏 闘病していた頃の病室での様子

難病を克服した鈴木康友氏 闘病していた頃の病室での様子【写真:本人提供】 signature

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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