【高校野球】史上初めて東京ドームで開催された東西東京大会 選手、監督が感じたものとは?

全国高校野球選手権東東京大会準決勝は東京ドームで開催された(写真はイメージ)

西東京は国学院久我山と東海大菅生が決勝進出

全国高校野球選手権の西東京大会と東東京大会の準決勝が、7月31日と8月1日の2日間にかけて行われた。会場は開催中の東京五輪の影響で、例年の神宮球場ではなく東京ドームで行われた。新たな歴史を刻んだ東京ドーム開催を、選手、監督ともにさまざまな思いを持って戦っていた。

神宮球場が東京五輪の資材置き場となり使えず、東京ドームが使われることとなった今年の東・西東京大会。103回の歴史の中で東京ドームでの開催は初めて。金属バットの甲高い打球音、チアガールのダンスとブラスバンドの声援が、いつもとは違う空気を作り出していた。

初戦から熱戦が繰り広げられた。2019年に続いて2大会連続の夏の甲子園出場を狙う国学院久我山は、日大三を4-3で下して決勝に進出。東京ドームでの初陣に、尾崎直輝監督は準備をしていた。同校OBでもある矢野謙次氏や、国学院大時代の同級生である日本ハムの谷内亮太内野手らの「フライが見にくい」という証言を元に、試合前練習ではフライ捕球を入念に行い、決勝へ駒を進めた。

秘策は選手らにもあった。2019年夏の甲子園を経験している内山凛外野手(3年)は、中学3年時に東京ドームでの試合を経験。「フライは全員で取りに行くように」と、他の選手らにアドバイスを送り、実際に15のフライアウトを奪った。

「気持ちが昂りすぎてしまったかな……」。こう悔しさを滲ませたのは、世田谷学園の成瀬智監督だ。東海大菅生に0-8の7回コールド負け。「プロ野球選手も戦っているので、小さい頃から憧れの場所だった」と話した主将・石郷岡一汰右翼手(3年)が右中間に落ちる球を横っ飛びで捕球するなど好守もあった一方で、二塁を守っていた鈴木快征内野手(2年)が高々と上がった打球を見失う場面も。指揮官は「こればっかりは責められないよね。自分も初めての東京ドームだから対策はしようがなかった」と庇った。

世田谷学園を下した東海大菅生の若林弘泰監督はニヤリ。「俺はここ大好きだから」。元中日の投手だった若林監督のプロ初勝利は東京ドーム。「マウンドが硬くて傾斜があるからね。本田にも経験させておこうかと」。決勝を見据えて、先発の櫻井海理投手(3年)だけでなく、本田峻也投手(3年)も起用して完封で決勝進出を決めた。

二松学舎大付・市原監督「大江、誠也はここでプレーしているのか」

東東京大会の準決勝1試合目は、関東一と修徳が対戦。プロ注目エースが投げ合い、関東一の市川祐投手(3年)が修徳打線を3安打1失点に抑え完投勝利。「マウンドは硬かったが、特にプレーに影響はなかった」と自己最速を6キロも更新する152キロを計測。新宿区出身の右腕は、小学生時代に隣にある東京ドームシティの遊園地に何度も行ったことがあるといい「楽しかった思い出があります」と小学校時代を振り返った。

最後に決勝に駒を進めたのは二松学舎大付。帝京との接戦を4-2で制し、市原勝人監督はほっと胸を撫で下ろした。初の東京ドームでの指揮に戸惑いはあったという。「選手らは楽しそうにやっていましたよ。どちらかというと私の方が違和感があった。高校野球をやるような球場ではないですから。でも、『大江はここで投げているのか』とか、『誠也はここに座っているのか』とか思いながらベンチにいました」。巨人・大江竜聖投手や広島・鈴木誠也外野手ら、プロで活躍する教え子らの名前をあげ、感慨に浸りながら指揮をとっていたという。

惜しくも決勝進出とはならなかったが、帝京・前田三夫監督は清々しい表情だった。「真夏なのに快適でしたよ」と報道陣を笑わせる。秋季東京大会は2回戦で小山台に0-10のコールド負け、春季東京大会も初戦敗退。「春の負けで本当だったら終わりだと思ったんですけどね。選手らは良くやりましたよ。もう少しだった」と、どん底から這い上がった選手らを褒めた。今年で10年連続で甲子園を逃し「勝てばもっと快適だったなぁ」と、少しだけ悔しそうな表情を見せた。

史上初の東京ドーム開催となった東・西東京大会。選手も指揮官も、戸惑いや楽しさ、様々な思いが交錯していた。決勝は8月2日、10時から国学院久我山-東海大菅生、15時半から関東一-二松学舎大付が予定されている。2年越しの甲子園の切符を手にすべく、慣れないグラウンドで球児らが白球を追いかける。(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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