「リーダーシップ」と「チームワーク」で世界に開かれた、日本をリードしていける横浜を。 松沢成文さんインタビュー【PR】

「横浜のすばらしい歴史や文化を継承して、これからも世界に開かれた、日本をリードしていける横浜を作っていきたい」。そう語るのは、これまでに神奈川県議、衆院議員、神奈川県知事、参院議員を務めてきた松沢成文氏。松沢氏の思う横浜の魅力と、世界の中での役割とは?良い組織には「リーダーシップ」と「チームワーク」が必要という松沢氏に、それを実現するための方法を聞きました。

選挙ドットコム編集部(以下、「選コム」):横浜市のご出身ですか?

松沢成文氏(以下、「松沢氏」):川崎の農家の次男坊として生まれました。酪農家で、乳牛を20~30頭飼っていました。牛乳を横浜の業者に納めていて、私が3歳から小学校に上がる前くらいの頃は、月に1度、祖父がその集金に私を横浜に連れて行ってくれた。

マリンタワーが出来たばっかりの時代で、横浜港をその時に初めて見ました。海がとっても広くて、大きくて丸いと感じたのが横浜港との出会いです。神奈川県知事になって、その横浜港を見下ろす県庁舎で仕事をすることになるとは思ってもいませんでした。とっても魅力的なまちで、横浜が大好きです。

選コム:横浜の魅力はどのようなところでしょう?

松沢氏:4~5年前から、開港当時活躍した偉人のことを調べ始めて、「横浜を開いた男たち」という本を書きました。まずは、ヘボン式ローマ字で有名なヘボン博士。彼は横浜で無料の診療所を作ったのですが、無料で西洋医学を施したり、英語塾を作ったりしました。これが日本の英語教育の発祥です。日本の英語教育は横浜からスタートしているんですね。

そして英語の勉強のためには辞書を作らないといけないということで、日本ではじめての本格的な和英辞典を作ります。これができたから日本人は英語の勉強ができるようになったのですね。みんなこれで英語を勉強しました。

また、横浜に集まった宣教師たちがミッションスクールを作っていきましたた。フェリス、雙葉、関東学院、明治学院、青山学院、みんなルーツは横浜に来た宣教師たちです。横浜で英学に目覚めた福沢諭吉は、慶應義塾を作った。それが今の日本の私学を作り出している。日本の私学は横浜から始まっていると言ってもいいと思います。

選コム:商業の分野ではいかがでしょう?

松沢氏:横浜には原善三郎というすごい生糸商人がいて、その2代目の原三景が生糸貿易で横浜を日本一の貿易港にしていくんですね。生糸貿易商社もつくって、海外の貿易も手掛けていました。生産、流通、販売まで手がけていたのが、当時は生糸の原商店と真珠のミキモトパールだけ。そういう意味でも、横浜の商業、貿易、商社、すべて横浜から誕生しているとも言えます。

それから、浅野総一郎という「エネルギー王」も。木炭からはじまって、石炭、石油、コークスの商売をして、セメントも扱っていました。横浜を商業の港だけでなく、工業の港にもしようということで、隣に京浜工業地帯というのを作るんです。当時の県や市が作ったのではなく、浅野総一郎という個人が作ったのです。「工業港」というのを日本で初めて作った。それが戦後の日本の高度経済成長につながっていきました。

彼ら横浜の偉人たちを通して、横浜には幕末から明治、昭和にかけて、日本の近代化を引っ張ったすばらしい歴史があるんだと勉強しました。この人たちが皆共通して手がけたのは、英語力。外国人を対等に商売するためには英語が必須です。こうして、「英語のまち横浜」となりました。英語とすごく縁が深いまちですね。

選コム:その歴史を通して、これからの横浜に必要なことは?

松沢氏:横浜のすばらしい歴史や文化を継承して、これからも世界に開かれた、日本をリードしていける横浜を作っていきたいですね。横浜では英語を第ニ公用語にする政策を打ち出しました。企業や教育機関、役所、市民レベルでも、英語を勉強できる機会を市が提供する。今でいう香港のように、ほとんどの人が英語が話せるようになる。アジアに進出したい海外の企業は、香港のようなところで戦略を立てて、中国やアジアに入っていきます。

香港やシンガポールのように、国際文化都市として発展していくのであれば、日本の中でのバイリンガルシティ、英語が話せる街になっていったら、世界中の企業は横浜に行ってみようとなるし、国内の子どもをもつお父さんやお母さんも、子どもたちは英語が身につくし、横浜に引っ越そうかしらとなるでしょう。

そうすれば極めて前向きな目標を持った街になるのではないかと。国際都市としての発展を目指せるのではないかと思います。「英語第二公用語化推進条例」という条例を作って、横浜を市民と協力しながら英語の通じる街にしたいです。その中心として、カジノを中止にして、「横浜開港テーマパーク」のような英語村を作って、そこの中はすべて英語にする。食べながら、遊びながら英語が学べるテーマパークにしたら、日本中から修学旅行生が集まると思いますよ。そういう前向きな発想で、皆が学べる、新しい発想ができる街にしたいです。

選コム: 現在の横浜市の課題はなんですか?

松沢氏:横浜市は、中学校の給食がないんです。全国20の大都市の中で、横浜だけになってしまいました。川崎は市長が交代してから5年で中学校給食が実現した。横浜は「ハマ弁」というお弁当が注文できますが、それを使っている人は20%しかいないですから。あとの80%の親御さんは、お弁当を作っている。夫婦共働き、ひとり親家庭の親御さんにとっては大変な負担になっているわけです。

戦後貧しい時代には、皆に平等に食べさせるという意味で給食の必要性がありましたが、現代では、栄養バランスを行き渡らせるという面でも、中学校の全員給食が必要です。夕飯をコンビニ弁当で済ませる子も多いし、朝食を食べて来ない子もいて、そうであれば昼食こそ、栄養バランスの良いものを与えないと。そういう意味での経済的な格差是正にもなります。

給食の献立を見て、神奈川県産の野菜なんだよ等教える「食育」の面でも大事。食材ができることを学ぶのは、文化を学ぶことです。その食材がどういうものからできているか。食育も、給食がないとできない。今の時代だからこそ、全員給食の必要性があるのに、横浜だけができていない。横浜の大欠点ですね。市長になったら実現していきたいです。

衆議院、参議院議員、神奈川県知事‥経験豊富な松沢氏

選コム: 政治家になられたのはどのようなきっかけでしたか?

松沢氏:私は身内に政治家がいたわけではありません。大学生の頃、「新自由クラブ」という小さな政党がありました。河野太郎さんのお父さんが作っていた政党です。新自由クラブの学生ボランティアをやっていて、政治に興味を持つようになった。大学を卒業して、松下政経塾というところで政治を学びました。

それから民主政治の本家であるアメリカの政治を見てみたいと、大統領選候補の下院議員さんのスタッフになって、アメリカの政治・選挙を徹底的に現場で体験してきました。アメリカは支援者からお金を集めますが、裏ではなく、表で集める。全部オープンなんですね。日本の場合は全部裏でやるから、それが分かった時に政治不信になってしまうんです。

選コム:ご自身が出られた最初の選挙は、神奈川県議会議員選挙ですね。

松沢氏:はい。29歳で神奈川県会議員の選挙に出ました。神奈川県議を2期やって、衆議院議員を3期務めました。その中で、神奈川県知事がお辞めになられて、その時に「松沢さんにぜひ」とお声がけいただきました。知事や市長はトップの立場で、会社の社長のようなもの。議員さんは取締役会の多くの人々で、たくさん集まって政治の方向を決めるという役割ですね。一度、マネジメントができる首長になって県民のために尽くしたいなと、県知事になりました。

ひとりに権力が集中しているポストは、長くやりすぎると絶対に腐敗する。権力があることがだんだん分からなくなります。政治が独善化したり、行政がマンネリ化したり、議会と周りの団体との癒着が始まったり。なので、私は多選禁止条例を作ったのです。どんなに良い人が出てきても3期12年までしかできませんというルールにしました。

これは日本で初めてです。私は県知事を2期でやめて、都知事選に出て、猪瀬さんに負けてしまい、参議院に戻りました。参議院で8年やった。横浜があまりにも混乱しているので、この混乱に終止符を打つために決意しました。

松沢氏(左から2人目)は、「ラグビーは僕の人生に大きな影響を与えている」と語る

選コム:政治のこと以外で、ご趣味などはありますか?

松沢氏:スポーツ全般好きですが、特に好きなのはラグビーです。15人でやるスポーツですが、たくさんの人数をまとめて、組織力を使って動かないと勝てない。たくさんいるからこそ、その場面場面で、誰かが引っ張らないとチームの力が発揮できない。それぞれがリーダーシップを持っていなければいけないんです。

スポーツだけでなく、どんな企業でもどんな組織でも、リーダーシップとチームワークが必要。二律背反するような議論に見えますが、「俺が俺が」だとチームワークがないと言われてしまうし、「みんなまとまろう、まとまろう」と言うと、突破口を開く勢いがない。この2つは両立させなければいけないんです。1つのチームの中に、リーダーシップが取れる人がいることと、みんなでチームワークでまとまれること。これが強いチームです。そのことをラグビーから学びました。

県庁で知事を務めている時も、自分がリーダーシップをとるべき時は率先して、協力すべき時は協力してやってきました。リーダーシップとチームワーク。この2つを両立できてこそ、はじめて強い組織、強いチーム、強い企業ができるんだなということを学んだのは、ラグビーです。ラグビーは僕の人生に大きな影響を与えていると思っています。

スクラムを組んだり、タックルしたり、球技であり格闘技のようです。試合で全ての力でぶつかり合って、試合が終わったときの笛を「ノーサイド」といいます。サイドがなくなって、みんな一緒になるんだという意味ですね。最後には勝ち負けでなく、またみんな仲間、友だちに戻るよ、という意味なんです。このラグビーの精神が大好きなんです。

愛犬のティオと

選コム:きょうは貴重なお話をありがとうございました。

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