【体操】村上茉愛「自分との約束」を果たす銅メダル 2年前に書いていた “色紙” の中身

メダルにキスをする村上茉愛

「自分との約束」を果たした――。東京五輪の体操女子種目別床運動決勝(2日、有明体操競技場)で、村上茉愛(24=日体クラブ)が14・166点をマークして銅メダルを獲得。体操女子では1964年東京大会の団体(銅)以来の表彰台で、個人では日本女子初の快挙となった。日本のエースは物心ついたころから五輪のメダルを夢見てきた。約20年にわたる体操人生を秘蔵写真で振り返りつつ、夢の実現に至るまでの〝秘話〟を公開する。

軽快にはずむ姿から〝ゴムまり娘〟の異名を取る村上が、今大会ラスト演技の床で躍動した。小学6年で成功させたH難度のシリバス(後方抱え込み2回宙返り2回ひねり)を冒頭で跳ぶと、着地もピタリと止めた。その後も曲に合わせて華麗に演じ切り、笑顔でフィニッシュ。試合後は胸にかけられた銅メダルを眺めながら「この1分半が終わってほしくないってくらい楽しかった。体操人生の中で一番いい演技。勝手に自分に金メダルをあげたい。日本女子初の快挙? 歴史を塗り替える人になれて光栄です」と笑った。

4歳から体操を始め、バルセロナ五輪銀メダル池谷幸雄氏の体操教室に入門。将来の夢は?と聞かれれば、当たり前のように「体操選手」と答えた。テレビゲームに興じる周囲の友達を尻目に、トランポリンや跳び箱で体を動かす幼少期。「気づいたころには、五輪でメダルを取ることに憧れていました」と回想する。

運動だけは絶対に負けたくなかった。保育園のときに鉄棒の逆上がりができず、悔しくて成功するまで練習を続けた。運動会の徒競走で2位になると大泣きし、自宅のリビングでは長イスを平均台に見立てて、着地が止まるまで何度も繰り返した。中学に入ると、さらに体操にのめり込んだ。

「体育は自信ありました。勉強はできないけど(笑い)」

それを物語るように中学3年時は保健体育がいずれも「5」。担任の先生からの通信欄には「夢のオリンピックに向かって邁進してください」と記されており、自身が書いた卒業文集の最後の一文には「私はオリンピックに出場し、メダルを取るまで諦めない…」とある。その8年半後に、夢を現実のものにしてみせた。

ここ数年は苦難の連続だった。2019年は腰痛のため世界選手権代表から漏れ、20年は新型コロナウイルス禍が直撃。「体操が嫌になった」という時期もあったが、最後の演技では自然と笑みがこぼれるほど〝体操愛〟を取り戻していた。

コロナ禍で東京五輪が延期される前の19年7月には、色紙に「1年後の茉愛へ」と題して未来の自分へメッセージをつづっていた。「体操を楽しめましたか? メダルを獲取して笑えているといいな」。銅メダル獲得後、関係者を通じて色紙を手にした村上は最高の笑顔を見せた。

今大会を最後に「引退」を口にした時期もあったが、この日は「実際に試合が終わってみないと自分の本音は分からないと思っていた。もうちょっと落ち着いた時に答えが見つかるんじゃないかと思う」と話した。今後どのような道を歩むにしても、これまでと同じように己の信念を貫き、夢をつかみ取るはずだ。

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